編(アム)

30代半ばの留学してる話

「昨日までの世界」と今日の世界

ジャレド・ダイアモンド氏の『昨日までの世界』を読んでいます。英語版のタイトルは"The World Until Yesterday"。タイトルが魅力的過ぎて、そして記憶力がなさ過ぎて、日本語版と英語版の両方を買ってしまったのです。

 

"The World Until Yesterday"では、ニューギニアで長年調査をしてきたダイアモンド氏が、その経験を通じて、過去数十年で「現代」に連れてこられたような社会を持つニューギニアと、数百年掛けて「現代」を築いてきた欧米社会を比較しています。

 

アメリカ人であるダイアモンド氏から見ると非合理な行動や考え方は、「昨日までの世界」、つまり欧米が過去に置いてきた世界においては、説明がつくものなのです。例えば、「ニューギニア人はめっちゃよく喋る」。これは、ダイアモンド氏によると、本やラジオ、テレビ、インターネットなどの情報源がない社会では、お互いの情報交換が極めて重要であることに起因とのことです。

 

なるほど、本やラジオ、テレビ、インターネットがなくて当たり前の世界では取り留めなく話すことすら大切な情報源なのか。

 

そこで私がふと思ったのは。おぉ、今時(特に私がTwitterでよく目にするツイートに限って言えば)よく言われている「本は教養なんだからたくさん読め!」「本をたくさん読んでいる人との会話は教養が表れて面白い」「本を読んでいると人生が充実する」などなど、本を読む=正義という価値観と違う世界や!です。

 

本がある世界があるいうことは本がないという世界もあるわけで、そこで「本がある世界に生まれて恵まれているな」と思うのではなく、「本がない世界では会話をたくさん持つことが合理的なのね。なるほど」と受け止めました。むしろ本のない世界ならこんなに日々追われるように読書に時間を費やす必要がないのか…いや、でもその代わり人とたくさん話さないといけないのか…どっちもどっちやな…みたいな。笑

 

私は人見知りなので知らない人と積極的に話すことは苦手なのですが、今の世の中、どんどん会話しなくても成り立つようになっています。それに反比例して、日々生まれる情報量はとてつもなく多く、「文明の開始から2003年までに作られた情報量と同じ情報量が2日で作られる」とエリック・シュミットが言っていた、とケン・ロビンソン氏の『才能を磨く 自分の素質の生かし方、殺し方』に書かれていました(又聞きー!)。

 

もう、確かに。ほんま。用事もないのにインスタ、TwitterFacebookを見る(TikTokは苦手)。更新するたびに新しい投稿があり、少し目を離すと「また新しい投稿あるかな」と確認したくなる。本を読んでいてもウズウズ。そして最近太り過ぎなので、ダイエットサークルみたいなオンラインサロンに入って、そこの動画を流す。さらに昨日NHKプラスに追加料金なしで入れると知ってインストール。情報溢れまくりですよ…。少し情報源を減らして、オフラインの時間を増やしたいなと思いつつnote書いてーーる!

 

私が一番見るのはインスタです。大好きな友人や家族の様子を窺ったり、ダイエット情報やレシピを探したり。でも雑音もすごく多い。個人的にはTikTokからの転載とか(苦手やから。笑)、他の人のリポスト、既にガリガリの人のダイエット情報とか、私の目的と違うんですね。パーソナライズがもう少し進化したらマシになるでしょうか。

 

インスタはビジュアル寄りなのに反して、Twitterは文字情報メインなので流し読みをして気になる情報をスクリーンしやすいとは思います。が、自分がフォローしている人がやたらいいねする人だったら、興味ないツイートもたくさん溢れて困っています…。

 

これはデジタルデバイスに奪われた家族や友人との時間を取り戻そうという話ではないです。いくらパーソナライズが進んでると言っても、自分にとって大切だと思われる情報が目や耳に入るように意識的に操作しないといけないな、その方法を探らなければいけないな、という自戒です。

 

『昨日までの世界』トークが変な終わり方になりますが、今日の世界にいる身として、そして多分残りの人生数十年もその世界にい続ける身として、もう少しスマートに情報のスリム化を図りたいと思います。

 

この記事は下記のnoteからの転載です。

note.com