編(アム)

30代半ばの留学してる話

オーストラリアについて調べる時によかったリソース

私はオーストラリアにワーホリで10か月くらい住んでいたことがあるのですが、特に何もオーストラリアについて学ぶことはしていませんでした。

 

語学学校すら行かず(お金ないし、英語学ぶのにお金を払いたくなかったし)、日本語が通じるバイトして日本人がいっぱいいるシェアハウスに住んで、日本人としかつるまなかったといっても過言ではありません。

 

まぁそもそも友人を「作る」というのが昔から無理で、「ワーホリしたんだし色んな場所の人と交流するぞ★」みたいな飲み会とかランゲージエクスチェンジから逃げていたので、バックグラウンド関係なく全体的に交友範囲は狭かったのですが。

 

(WWOOF:World Wide Opportunities on Organic Farmsという、オーガニック農家のファームステイは数か月しました。そこでも日本人多かったなぁ~その話はまたどこかで。)

 

オーストラリアに何万年と住んできたアボリジナルな人々やトレス海峡諸島民(英語圏ではアボリジニという呼び方は差別的ということで、First Nations Peoplesとここでは呼びます)について関心も関わることもなかったのですが、今悔やんでCourseraで学んだり本を読んだりしています。

 

 

これはシドニー大学が提供するコースなのでシドニー圏(Eoraという総称の人々がいた。その下に更に細かく部族が分かれていた)の文化の話ですが、いつか他の土地のコースも展開されるといいな、と思います。日本語字幕もいつかつくといいですね(他人事)。

 

本は、下記4つ。

アボリジナルであること-オーストラリアにおけるFirst Nations Peoplesへの教育について、特に滅びゆく言語を継続するための取り組みの紹介をしています。

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民文化人類学者である著者がFirst Nations Peoplesについて調査したいけど、なかなか「あなたたちを調査させて下さいな」と言い出しにくくてモジモジしてしまう。でも地元の方々が少しずつ心を開いてくれて、色々教えてくれました、という流れで展開されています。丁寧なインタビューで、First Nations Peoplesが直面してきた苦しみを個人の体験として捉えられるようになります。

 

 

アボリジニーの国 オーストラリア先住民の中で-もうこれすごい!好き!(リンクは他の方が書かれた書評です。この書評については読んでいません)

 

当時あまり日本から来たオーストラリア在住者はいなかったはずですが、著者の中野不二男氏はFirst Nations Peoplesとは関係のない仕事でシドニーに住んでおられたところ、彼らの存在について疑問に思うところがあり、少しずつ距離を縮めて、いつしか国からお金をもらってFirst Nations Peoplesのコミュニティに関する調査を進めるようになって…という展開がもう、「え?この人FBI!?」って疑いたくなるようなものなのです。

 

もちろんFirst Nations Peoplesが当時直面していた問題について捉えているという点は上橋菜穂子氏と同様ですが、それに加え魅力的なのが、中野氏が「何もわからない」という状況からどんどん「すごく知っている」人になっていく過程です。すごく親しみやすく、相手をリスペクトする性格をお持ちなのだろうな、と羨ましくなるとともに、「今のオーストラリアは日本から来た人にお金を出してFirst Nations Peoplesに関する調査をさせてくれるのか?」という時代背景のエキサイティングさに目が釘付けになります。

 

これは中野氏の他の著書

カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットはなぜ死んだか-にも共通するもので、彼のFBIっぷりが素晴らしく、この本を高く評価しているオーストラリア在住日本人の方もブログで紹介していたり、実際に中野氏は受賞されたりしています。上述のブログ記事で「あぁ~日本人…!っていう結末」と紹介されていた意味が、本当に最後の最後でわかるのです。鳥肌もの!

 

というわけで中野氏のどんどん調査する姿勢と少しずつ事実が明らかになる様子にハマり、また「オーストラリアにいる日本人」の根源とも言えるブルーム(Broome、西オーストラリア州)の真珠貝採りダイバーとFirst Nations Peoples、その他色んな人種や文化の共存について探るべく、

マリーとマサトラ 日本人ダイバーとアボリジニーの妻-も読みました。もうあまり流通していないみたいで、私も古書を結構探しました。今のブルームはどんな感じなのでしょう。First Nations Peoples、ホワイト、中国、日本、フィリピン、マレーシア、インドネシアの人々が色々混ざっているかと思えば差別というか分断もあって、という複雑な時代に、共に生きることを決めて家庭を築いたマリーさんとマサトラさん。

 

(関係ないですが「毛唐さん」というのは欧米人への差別用語らしく、文中に時折出てくるのですがその意味がわからず「毛唐さんっていう日本人が地主として色々意地悪してるんやな💦」とか思っていました。毛唐さん、なかなか本人登場しないから何?と思って調べたら白系オーストラリア人のことを指していたようです。)

 

最後に、動画では

がすごく示唆に富むものでした。何でこんな大作を無料で公開しているんでしょう?

 

実は、私がオーストラリアに行ったのは、仲の良かった友達に誘われて気軽にhave funしよう、という動機だったのですが。その友達はオーストラリアに長く住んでいて、色んな情報を私に教えてくれました。両替はあそこがいいよ、このお店はお得だよ、などなど。その中でFirst Nations Peoplesについて彼女が私に「教えてくれた」のは「お金ちょうだい、と寄って来られるから、あまり近づかない方がいいよ」でした。

 

私は色んな国に行き、顔も肌の色も文化も言語も違う人と知り合い、彼らから学び、彼らと対等に日本人として生きる道を探ってきたはずなのに、この時はFirst Nations Peoplesのことを「知らない」から、「知っている」友人の言葉を信じて、恐怖を抱いてしまったのです。今振り返ると恥。恥、恥!

 

最後に紹介した動画では、暗い道でFirst Nations Peoplesの子ども達がたむろしているシーンが出てきます。友達から「近づかない方がいいよ」と言われた時の私がこのシーンを見たら、怖いという印象を抱いていたかもしれません。でも動画を冒頭から見続けて、彼らの人生の主役として立ち居振る舞いする彼らを見たら、「あ~家に帰ってるねんな」で終わるのです。

 

私がソーシャルワークを学びたいのは、ソーシャルワークというレンズを通して世の中を見ると、自分がどんどんマシになっていく感覚があるからです。そしてマシになるためにはソーシャルワークを追求する以外にも、「知る」ことがすごく重要だと実感しています。

 

上橋菜穂子さんが文化人類学者としてFirst Nations Peoplesのことを「調査」することは気が引けた、というのはよくわかりますが、私はこうした方々の解釈を通じてFirst Nations Peoplesのことを少しずつ知り、知ることで自分の中にある最低な差別を払しょくするための努力を絶やさず生きていこうと思います。

 

まぁでも本当に、人間を調査の「対象」とすることって本当に難しいですよね。できれば調査や記事のネタにするためでなく、何かしらのきっかけで知るようになり、それを広めることで世の中の偏見が少なくなる、という流れがいいように思います。(ワーホリしてまで引きこもっていたネクラが言う)

 

っていう話でした。

 

この記事は下記のnoteからの転載です。

note.com