編(アム)

オーストラリアでソーシャルワーカーになった中年の話

2021年の目標を達成した気がする≒Activism It Is

先日まで「さく:全体的に暗い」という名前で投稿していたのですが、振り返ると「全体的に暗い」は要らない気がしてきたので暫定的に「さく」という名前に変えました。(ぱっと見「くさ(臭)」に見える)

 

そもそもは「全体的に暗い」という名乗っていたヤバい奴なのですが、それには理由がありまして。

 

先日の記事でも申し上げましたが、noteでは自分「だけ」が知っている物事を自分「だけ」の発信で伝える媒体だと思っています。では私だけが発信できるのって何?と考えた時に、「私は私のことしか考えていなくて、私の思考にすごく詳しい。その考えのユニークさを発信すればいいのではないか」と思ったのです。

 

何しろ自分にしか興味がなくて、過去数年、ずーっと「何で私はこう考えるのだろう?あの人のあの発言をどうしてこういう風に受け止めたのだろう?あの出来事は私にこういう影響をもたらして…私って何・・・?」と悶々考える期間があったのです。しかもその内容が結構暗い。ひたすら暗いので、「全体的に暗い」をテーマにnoteを開始したのです。

 

そしてコメント欄でのやり取りで親切な方が「何とお呼びしたらいいんですか?」と聞いて下さり、確かに「全体的に暗いさん」って呼びにくいな、と思い、本名に近い「さく」を加えました。

 

そこで今回の投稿のタイトルですが、今年の目標は「自分以外に興味を持つ」だったのですね。自分にしか詳しくないってキモ。と思い、自分以外のことに詳しくなってみたいという気持ちがありました。同時にソーシャルワークにも興味を持っていたので、今年の学びのテーマはソーシャルワークで決まり。まぁ人に発信できるほどソーシャルワークには詳しくないので、大学院に行けることを願うばかりですが(奨学金の結果はまだ)。

 

で、ソーシャルワークという分野も深く広いため、本を数冊読んだくらいでは全然マスターできないのですが、十分自分以外に興味を持つようになりました。しかし世の中に興味を持つと、苦しいことばかり。「相手を変えようとするのではなく自分がまず変わろう」レベルではなく、「社会を変えないとこの理不尽は永遠にのさばる…!」という危機感と、ソーシャルワークの学びがつながり、メラメラ燃えています。

 

TwitterでもYouTubeでも、Facebookでもあちこちにメラメラ要素は散らばっています。それをソーシャルワーカーの仕事と絡めているのが

 

脱『いい子』のソーシャルワーク 反抑圧的な実践と理論」。

 

Anti-oppressive Practice (of social work、AOP)について取り上げ、下手な概要を言うと「ソーシャルワーカーって行政トップの言うこと聞く『いい子ちゃん』でなくてもいい、逆におかしいことにおかしいと言えるようになろう」と呼びかけている本です。

 

確かに私が最初にソーシャルワークについて学んだ時、ソーシャルワークの「グローバル定義」って、学び始める前に持っていた「いい子ちゃん」系の印象と真反対やな~と思いました。行政の指針、社会に対してものを言っていい、そうやって変化をもたらすのがソーシャルワーカーだ、という考え方はメラメラ燃えている私にとってとても都合のいいもので、詳しく知りたいと思いました。

 

そこでAOPを詳しく取り上げた「Doing Anti-Oppressive Practice -Social Justice Social Work-」も読みました。結構時間が掛かりましたが…主に北米(特にカナダ)の事例が取り上げられていたので、これの各国版があるといいなと思います。「脱『いい子』~」はそういう位置づけの日本版なのかな?(出張中で手元に本がないので確認できないですが…)理論も大切なのはわかりますが私はケーススタディの方が頭に入ってくるので、実践としてAOPがどう展開されるかの事例がたくさん含まれているのは非常にわかりやすかったです。

 

「Doing Anti-Oppressive Practice~」では最後の方にアクティビズムについて書かれています。確かに日々の業務に追われて、抑圧に対して行動を起こすのは難しいだろう、でも結局は個々人がレジスタンス(抵抗)の責任を持つのだ、と。

"Some measure of empowerment allowed us to move from a position of being in struggle to a position of being able to and wanting to contribute and change conditions, not just for ourselves, but for a group, a community or our world." (pp. 356 - 357)
(私の訳)エンパワメントによって私たちは、「苦しむ立場」から「自分たちだけでなく集団やコミュニティ、または世界のために状況を変えることができる立場、また変えたいと思える立場」にシフトすることができた。

参考文献
Benjamin, A. (2017). Doing Anti-Oppressive Social Work The Importance of Resistance, History and Strategy. In Baines, D. Doing Anti-Oppressive Practice Social Justice Social Work. (pp. 351 - 359). 

 

(参考文献の書き方はこれで合っているのか?Educate me...! Let me in a grad school by funding me!!!笑)

 

「まずはできるところから」「変えるのはまず自分」というのは基本だけど(行き過ぎた自己責任論とは別次元)、自分を変えさせられるだけではただの理不尽、ということも往々にしてあります。1人1人が危機感と「抑圧」に立ち向かうという覚悟を以て、仲間を見つけて集団的に社会に呼びかけて変革をもたらそう、という、当たり前のようですごく難しい考え方は、今この時代にすごく必要で、やるべきことなのだと私のハートがファイヤーしています。

 

ちなみに「抑圧」は「生きづらいと思わされる違和感」をも含むそうです。気候危機によってもたらされる苦しみも抑圧、人権侵害という考え方も当然になってきていて、これまで言い出しにくかった心地の悪さ、例えば不動産会社に部屋の内覧で「キッチンをよく使うのは奥様なので」というセリフを言われてはらわた煮える体験(実体験、しかも数回。こういう社員は研修受けるべき)でも、抵抗していいのです。

 

まぁ私がこれを実践につなげられるようになるには時間が掛かりますが、絶対これを生涯のミッションにするぞ。と、元・全体的に暗い私は考えております。

 

それにしても大学院に行くか行かないかで今後のnoteの方向性が変わりそうなので落ち着かないですがしばらくは「さく」と名乗ります。

 

この記事は下記のnoteからの転載です。

note.com

 

名前は姓も入れて「さくしゅ」にしました。

 

あと小ネタですが、「脱『いい子』のソーシャルワーク」では「Doing Anti-Oppressive Social Work~」の筆者ベインズ(Baines)氏の名前をBainsと書いているのに気付いてショックでした。それやったらバインズさんやで…。