編(アム)

オーストラリアでソーシャルワーカーになった中年の話

1年次1学期終わりました所感

学期最後の課題ラッシュを終えていつの間にか1学期が終わっていました。所感。

 

■意外といけるかも?

私の周りには大卒直後にイギリスで国際開発を勉強した人・日本で社会人大学院に行った人、最近だと超頭のいい大学時代の友人がアイビーリーグMBAを勉強した人などがいて、皆「あんなに勉強することはもう一生ない」と言っていたのでビビッていたのですが、意外と大丈夫でした。

 

もちろん大卒直後ではなく英語を使った仕事を数年間やった後ですし、何より修論がないので淡々と授業を受ければまぁ大丈夫そうだな~と余裕ぶっこいています。授業についていけないぃぃいい泣って経験もないし、でもまぁアホなのでついていけていないのに気付いていない可能性は結構あります。

 

あと、家族は皆日本にいて、自分以外の面倒を見なくていいというのが大きいです。予習復習!仕事!(日本の仕事をパートで続けさせてもらっています)寝る!予習復習!仕事!って感じの毎日なので、読むのが遅いけどリーディングにめっちゃ時間を費やせます。夫が一時期訪問してくれていたのですが邪魔で泣いた。笑

 

あとおばさんだから?友達ができなくてソーシャルライフがなくて辛い、というのもなく、別に遠くにいる友達といつでも電話できるし~という感じ。アマプラとかネトフリとか見なくても生きていけるし。その分結構ツイッター廃人気味ではあります。。

 

■英語とコミュニケーション

私はIELTS7.5(R8.0; L8.0; W7.0; S7.0、でも5年前に初めて無勉で受けたらOA8.0やったの、勉強して受けたら下がったの!←見苦しいけど言っておきたい)なのですが、

 

・授業の予習でたくさんリーディングが出るので、それに追いつくにはR8.0あっても足りないわ、という感じ。答えがないというか、その論文・章のどこがハイライトなの?がわからないとダラダラ読んでしまうし、時間をかけて読み終わっても記憶の保持能力が低いので授業のディスカッションまでには忘れているobasan。興味を持って読むと面白くてしょうがないらしいよ、教員によると。

・Listening満点取ったことあるけど(←見苦しいその2)、授業のディスカッションや日常会話でベラベラ話されるとよくわからない、わかった気がしていても実はわかっていなくてとんちんかんなことを言うこともある。まぁ私日本語でもそれあるんですけど。

・採点基準の中に「正しい文法」がある時もあるけど、課題のエッセイを書く分には、W7.0でも劇的に点数を減らされることはない(提出前に大学が契約してくれている添削サービスに出して、めっちゃ指摘来ます。「途中で主語と述語の不一致が起きてるよ」とか「Remember to use 'the' before definite nouns.」とか。Rememberしてるけどいつdefiniteなのかわからないのだよ)。文章の基本構成については大学が提供してくれる情報に沿えば問題なし。

・体調や緊張によって舌がもつれることもあるけど、だいぶ心理的な壁は取り除かれたと思います。S7.0でも、ソーシャルワーク大学院だと周りの学生も教員も優しいので特に辛い思いはしたことがない。でも喋るの面倒で口数が少なくなってしまい、誤解のもとにならないといいけど、と最近気を付け始めました。

 

しかし私は元々日本語でもコミュニケーションが苦手で、気を抜くと人を怒らせたり「怒ってるの?」と言われたり話し続ける元気がなかったりと、英語関係なく上手くいかないことも多々あります。明るくて人懐っこくて喋り好きな人が羨ましい。

 

あとは英語が下手なせいで見下されることはまぁ、意識すると多々あります。一番よく話す子でも、印刷した資料のページがバラバラになったので整理していると(私が何ページを見るべきかわかっていないと思って)「今5ページのこと話してるよ」と教えてくれたり、自分のソーシャルワーク実践のフレームワークというものを発表する時に私が自分の怒りに触れたのに対し、「さく…、怒りが動機なのはわかるわ。私も昔そうだったもの。でもそれって心を蝕むから、怒りに固執していてはだめよ」とアドバイスしてきたり(私の方が10年長く生きてるんですけどね笑)、「(日本の)在外投票したいから今度ブリスベンに行くねん」と言ったら「おぉおおお~さく、あなたは投票権ないわよ」と悲しそうな顔をしたり(オーストラリアの投票がしたいと思ったらしい。確かにタイミングは同じでした)。

 

でも同じような年の同じ国出身でもそういう発言が全然ない子もいて、その子はいつも私の下手な英語でもすぐに意味を汲んで「こういうことね」と絶妙に正しい言い回しを教えてくれるし、全然上から目線の話がないです。この子に学ぶところは多い(私の方が10年長く~以下略なんですけどね)。というのも、私も日本語が流暢でない人と話す時に何となくタメ語になったり、ナメた言い方になったりしているような気もするのです。最低ですね。でもせっかく今学べたので今後本当に気を付けます。

 

■生き方の変容

オーストラリアのソーシャルワークは正義、尊重、専門職としての誠実さを三大原則にしています。そしてソーシャルワークそのものが、自省をものすごく重視します。

 

いつも自分のことを考えているので自省は得意で、自省関連の課題(reflective journal)は2つのうち2つとも90%を超える高得点をもらいました(安心して下さい、ケーススタディで60%という絶望の点数が出ました。今後reflective journalは課題に出ないはずなので、絶望が続くと思われます)!ソーシャルワークを目指す人は普段から自分が何に怒って何に喜んで、何が自分を突き動かすのか、これまでの人生の軸は何か、を振り返っておくことをお勧めします。

 

ソーシャルワークを学べば学ぶほど社会の不条理に怒り、疲れます。不正義を学ぶことで、世の中のあれもあかん、これもあかん、と沸点が低くなった感じ。それで夫とぶつかることもありますが、今までどれだけ自分の特権に乗っかって他の人のことを考えてこなかったのか思い知らされました。今もふと発言する内容が差別的な時が多々あり、ほんま人生修行やな、、、と思い知らされるばかりです。

 

特に白人(という言い方も何か嫌ですが、、、ヨーロピアン由来の人たち)の学生はwhite privilege、white supremacy、whitenessというセオリーを突き付けられて顔面蒼白。イギリス人は「私たちの祖先が侵略者ということ!?こんなのイギリスで学んでない!」(←日本もびっくりの歴史修正主義なんですかね)、ヨーロッパ系のオーストラリア人も「ものすごく居心地が悪い思いだけど、受け止めないといけないね。私たちの先祖はだいたい殺戮者」と落ち込んでいました。

 

私はアジア人なので「What does it feel to be white?」といつも心の中で彼らに問うのですが、逆に「What does it feel to be yellow?」って聞かれたらめっちゃ嫌!笑 イエローって言うな!って感じなので、whiteという単語の代わりをコーカサス系?とか色々探っていますが、とにかく相手の立場に立たないといけないですよね。例えば私がフィリピンに行って「日本人の侵略があって私たちはめちゃくちゃだ。人を無惨に殺し辱めやがってこのど変態殺戮者」と目の前で授業されたらそれはもういたたまれない。そのいたたまれなさを自分事にした結果、今ソーシャルワークを学んでいるのですが。

 

オーストラリアの歴史で言うとアボリジナルな人々の6万年以上の歴史と、たかだか230年くらいのイギリス系の人々の襲来その後の侵略の歴史、そしてそのたったの230年で白人が自分たち中心の社会を築き上げ、他の人種への抑圧構造を生み出し、今なお「あの人種は~だ」というステレオタイプを再生産し差別しているということに驚きなのですが、white supremacyってヨーロッパ系の人だけの話じゃないんですよね、仕組みだからどの人種でも参加してしまえちゃうのです。だってソーシャルワークが生まれたのが欧米だから、その前提が欧米なのです。ソーシャルワークの脱ヨーロッパ中心主義を目指さないといけないのです。私はソーシャルワークが全然ない国(日本)から来たからオーストラリアのソーシャルワークが絶対なのかなと思いがちだけど、全然そうじゃない。

 

だからwhitenessを私は享受していないけどそこに参加し得るという気持ちは持ち続けて学ぶ必要があります。そして、私が日本に戻ったら完全に中流階級の、教育を受けて自由に仕事や学問を選べる特権を持ったシスの人間であるということが他の人にどんな影響を及ぼすのかを本当によく考えるレンズを、ソーシャルワークにもらいました。

 

そして今猛烈に怒っているのは、一部の在豪日本人によるアボリジナルな方々への差別発言…私たちがこの大陸にいるというのは彼らから土地、水、風を奪っているということ。存在させてもらえるだけでもありがたいのに、さらに彼らを抑圧・搾取・差別してきた社会に加担するな!!!「そんなこと学んでないからしょーがないじゃないか」じゃないやろ!!いや、そうやねんけど!私も昔ステレオタイプに染まって変な考えを持っていたし、ソーシャルワークを学ばないとこの視点は持てなかったけど!ソーシャルワークを学んでいない人でもそんな差別がおかしいということに気付けるように、主流の人たちが何とかすべきでしょう!!と、主流じゃないけど誰かこれからオーストラリアに来ようとしている人の目に入ればいいな。

 

知らない言語を「うるさい」と感じるのは当然です。それは特定の人たちがうるさいのではなく、あなたが彼らの言語を知らないだけです。あなたはオーストラリアに来て外国での未知の体験を通じ、これまでの自分の常識を疑う視座を持てるようになると思いますが、その視座も結局ヨーロッパ中心のものじゃない?その何万年も前からこの大陸を尊重して守ってきた人たちを蔑む視座って、おかしいんじゃないの?とまで疑える視座を持ってもらえたら、同じ日本人として私も嬉しいな。