編(アム)

30代半ばの留学してる話

1年目2学期も半分ほど通過

毎日実習、仕事でかなりの時間数稼働していて息切れ気味です。あと円安で日本の収入が減って、不安が強いです。

 

実習もだいぶ慣れて来ました。最初はDo no harmを目指して、できることには手を付けよう、という意識でいたのが、だんだん「これはソーシャルワーク的にはどうなのか?」という視点をもって批判的に見るように。しかし現場にソーシャルワーカーがいないため、結局ソーシャルワーク実践という見本となるものはありません。サポートワーカー(日本だと「介護人」という日本語訳になるけど、日本の介護が身体的・医療的な意味合いを含む感じなのに比べ、オーストラリアでは感情面や同行を通じたサポートを提供する人、というニュアンスも含む気がする)になるトレーニングを受けている感じ。だからかなり注意深く批判的にソーシャルワークの視点を持っておかないと、ソーシャルワーク学生の実習としてもったいないことになります。

 

実習先に来る子ども達は障がいやトラウマがあり、NDIS(国家障がい保険スキーム)上のゴールや利用者本人・家族が達成して欲しいゴールに沿ってサービスを提供しています。まぁキッズにとっては安心して過ごせること、何かしらの活動に気乗りしなくても受け止められるということが重要ということもあり、ゴリゴリにゴール達成のための活動をずっとしているというわけではありません。

 

そう、「安心して過ごせること」が最近の私の関心事です。元々、学校や家庭に居場所がない子にとって安心して過ごせるサード・プレイスを設けているという点でこの実習先は私の意識と合致していました。しかしそういうのって危機的状況にあるキッズだけの他人事ではなく、ワーカー(自分)にとっても大切ですよね、と気付くことに

 

1つは、自分がマイノリティであり、それを理由にした不具合が発生した時に、ほぼマジョリティしかいない実習先(ワーカー・利用者ともに)では誰も守ってくれないな、と思ったことがきっかけです。具体的には、私が英語に自信がないということを感じ取った利用者(お子)と少し対立気味になった時とその後のワーカーの対応に、「あー私はここでは唯一のアジア人としての孤立から守られることはないな」と思ったのでした。対立そのものはすごくしょーもないことで、ただただ私の未熟さと自身のなさが露呈し、その対応をミスったことで某お子には申し訳ないことをしたなぁと反省するばかりなのですが、実習先のワーカーはそこで私がエスニックマイノリティとして受けた衝撃を「大したことない」と矮小化しようとしていないか?と思うに至ったのです。

 

その時のモヤモヤに関連して呟いたツイッター

 

何故そう思うようになったのかは具体的には書きませんが、ワーカーはあくまで「あなたが勝手に英語に自信ないから被害者ぶってるだけでしょ」と言いたそうな感じ。まぁそうなのかもしれないけど。

 

ここでちょっと大げさに考えると、これは特権VS特権の話だと言えるように思います。つまり私はおとなで、利用者であるキッズに「ああせえこうせえ」と言える立場で特権があります。一方キッズはエスニックマジョリティで英語ネイティブスピーカーという特権があります。そして実習先はキッズのためのスペースなので、私のエスニックマイノリティという抑圧される側の声がかき消されてもしょうがない、無事におとなになれたお前がごちゃごちゃ言うなよ。なのか!?という。いずれにせよ特権がない人間が特権のある側の人間に声を上げることは非常に難しい。Anti-oppressive social workは反抑圧として声を上げることを唱えているけど、それってソーシャルワーカーという「支える人」が被抑圧者と共に声を上げるということで、被抑圧者本人だけで声を上げるということではないよね!?…みたいな、ごちゃごちゃと考えましたわ。

 

さらに、私はわざわざ母国ではないところに移動してきて勉強をしている身なので、そこで「私はマイノリティやでー!抑圧されてまっせー!」っていうのも何か微妙ですよね。きっとそう考える必要はないのですが、オーストラリアには、自分たちの大地に住んでいるだけなのに途中で植民地にされてしまって、以来ずっと抑圧されている先住民の方々がいるので。彼らのことを考えると自分の新移民としての権利擁護って、大したことないなぁ、と思い直すのです…。

 

 

さて、安全な場所、安心できる場所の大切さについて考えるようになった2つ目のきっかけは、まさにクラスメイト達が実習で危機に陥っているということ。詳しいことはわからないのですが、実習先で安全が確保されていないケースが発生している一方、彼らを守るための大学の対応が追い付いていない、という表現になるでしょうか。学部生や他の学年も入れると100名ほど?の実習先を見つけて学生を送り出すというのも大変かもしれませんが、大学としては学生の安全を第一にするべきなのに、できていない、というような。

 

私もソーシャルワーカーではなくサポートワーカーになる訓練を受けているようなものだし、アジア人としてポツンと1人的な気持ちになることもありますが、他の実習先に行っている学生からは「無料でお手伝いをしているようなもので、何も学べていない」「放置されている」、一部「パワハラ」といった苦情が聞こえてきており、それに比べると私には学び多く安全が確保されているなと思えます。特に経験が豊かな学生が、「実習から何も学べない」という苦労をしているような気がしますが、その辺りで学校側も「これは学生の学びへの態度の問題なのか、実習先の問題なのか判断しづらい」と思っていると想像します。

 

って全部想像なのですが笑、実習という学校外の環境で単位取得が懸かっていて、しかもほとんどの学生が無料で500時間も行く中で、「これはソーシャルワーカーになる訓練なのだ」と納得できないのであれば妥当な危機感ですし、大学側ももう少しちゃんと調整しぃや…と思うばかりです。特に大学院は他の分野で3~4年勉強してきた、また専門性をもって働いてきた人が多い場なので、それなりの実習先を確保することは高い学費への敬意やろ!と、学費の高い留学生の私は特に思います。

 

まぁ私はサポートワーカーになる訓練だとしても、これまでの人生で福祉に触れることはほとんどなかった中でソーシャルワークの先に誰がいるのか、彼らとどう接するのか、という点を学べる今の実習はすごくよかったなと思います。そういう風に、自分の中で納得をできる人もいればそうでもない人もいて、納得どころかパワハラなんか言語両断で、とにかく実習が学生の安全を脅かさないことを願うばかりですよ。という話でした。