編(アム)

オーストラリアでソーシャルワーカーになった中年の話

怒りの根源は共感の不在?

当たり前といえば当たり前なのですが、セクハラっぽい発言に異様に腹が立ったので、何故なのか自分なりに考えました。

 

事の発端は、詳しく言うと発言した本人の不利益になるため、またその不利益を私は求めていないため、ちょっとフィクションを加えて説明します。

 

仕事の関係者とほぼプライベートな話をしていた時に、「女子が◯◯しているのを(性的に燃えることとして)意識しないようにするのが大変」という発言がありました。

 

自分が対象の発言じゃないし(あたい女子じゃない笑)、その場には他の方もいて、その発言は私に対してのものではありませんでした。

 

でもそれを聞いた私は「キモ!!」と引いて、同席していた他の方に後ほど「あの発言を私たちにしたのが許せないんです」とメッセージをしました。するとその方は「確かに自分に関してあんな発言されたらトラウマものだ」と返事をくれましたが、私の「私をどーにかするための発言ではないのに異様にキモい」という気持ちの共有には至っていないなと思わされました。

 

そこで突き詰めたところ、他のエピソードを思い出しました。

 

痴漢に遭ったことがないという、女にしてはとてもラッキーな経歴を持つ私ですが、それと非モテが相まって「私は女として見られない」という前提が身についていた24歳くらいの私に起こった不快でした(女として見ることと痴漢が同義だという意味ではありません。一時期同義に考えていたアホな時期もありましたが)。

 

当時の男性上司と就業時間後にエレベーターが一緒になった際、彼は「最近眠くて仕方がない。夜寝る時も本とかを読もうとしてもすぐに寝てしまう」と言いました。そして「あなたが隣で寝てくれていたらギラギラするのに」と言ったのです。

 

私は当時、セクハラ発言にいちいち目くじらを立てることを「かっこ悪いこと」と思う傾向にあり、とっさに「えー逆に魅力がなさすぎてさらに入眠が促進されるかもですよー」とか返したように思います。

 

その発言について深く傷付いたのに。

それからもその職場を去る間際まで、その出来事を誰にも言うことができませんでした。

 

何故傷付き、ただのエレベータートークを誰にも打ち明けられなかったのか。

今回の怒りと当時の傷付きに関連しているのは、私を隣で寝る存在として見る人間がいるのかという驚きと、「そのような発言を私にしても許されると思われていることがショック」ということです。

 

当時の上司は仕事に厳しく、家族を愛し、みんなに信頼される人でした。仕事中も飲み会でも、パワハラはあってもセクハラは一切なく、パートナー以外に性的なアテンションを払うことについて発言するというのが、私の中の彼の像の枠を超えていたのだと思います。そんな彼が「あなたが隣で寝ていたら」発言をしたことを知った時、意外だし気持ち悪いし、他の人に伝えた時もかなりのショックをもたらしました。

 

一方、今回の仕事の関係者は、単身赴任をしているから家族と会えず欲求不満なのか何なのか、そういう発言も以前からチラホラと聞かれていました。でも、だからといって何で私がその発言のオーディエンスにならないといけないの?と私が違和感を持っていることが原因だと気付きました。私、あなたの欲求不満に付き合う筋合いありませんけど、と。

 

でもこの問題はとても難しいです。私だって誰かのことを面白おかしく言ったりその人について愚痴ったり、そしてそれを聞いた人の心に重い鉛をもたらしている可能性です(単細胞のドラマクイーンなので)。

 

当たり前です、その発言が共感を呼んでいないので。これらの発言をした人達は、その発言をしてもいいという前提で話しているのに、その前提は相手にとっては存在しないものなのです。

 

この結論は「そりゃそやろ」なもので、セクハラ関係なく全ての発言に適用されるものです。それと同類かと思ったのは、歩きタバコと走りタバコが許せない件。

 

私も元喫煙者としてタバコに文句を言う権利はないかもしれませんが、辞めた今、知らない誰かのタバコの煙を吸うのが本当に嫌です。

 

特に歩きタバコと走りタバコ。何で自らが歩いた/自転車や自動車で走った軌跡に副流煙残すの?と。

 

特に私が今住んでいる地域はそれが多く、小さな駅からの一本道、1回の電車から降りて帰宅する50人近くが歩く道で、先日はわざわざ一番に改札から出て、先頭を切って歩きタバコをする人を見かけました。走って抜かしましたけど。

 

吸ってる本人からしたら、満員電車から降りてやっと吸える命の煙ですよね。わかるわかる。でも

私がその煙のオーディエンスにならないといけない理由はどこにもない

 

それでセクハラ発言も、歩きタバコや走りタバコの副流煙も、それをしていいという共感をしていないから腹が立った、傷付いた、キモかった、と言えるのではないでしょうか。ハラワタが煮え切る理由は私に選択肢が与えられていないことということがわかりました。

 

確かに夫のせいで行動に制限がかかるとか、めっちゃ嫌ですもの。。だから自由な仕事で自由な私生活を野生的に送っているんですね。納得納得。

オーストラリアの大学教員を困らせた話

名前を「全体的に暗い」に変えました。noteでは大学院留学を目指す過程を残そうかなと思って始めたのですが、諸事情によりまだ目指し「始め」に至っておらず、必然的に過去を振り返り記録をする投稿になっています。そして振り返ると、それは…「全体的に暗い」、です。

 

なぜか中学から高校、大学、さらに20代後半になるまで性格がとても暗く、ネガティブに生きてきました。生きるテーマは「世の中になるべく迷惑をかけない」というマイナスなもので、そのテーマすらも「自分は世の中に迷惑をかけているなぁ」と気付かないままネガティブな自分を受け入れてくれない世の中にキレていたヤバい時代を乗り越えた故のテーマでした。

 

さて、そうやって自分のネガティブさが異常なことにも気付かず、周りにキレまくっていた時の話です。

 

私は高校で国際系の科に所属していて、当時の英語の先生が、オーストラリアのアデレード大学の教員にオンラインで英語を教えてもらったり、現地学生と交流できたり、という試験的な取り組みを授業に導入してくれました。導入にあたって高校の先生もさぞかし知らないところで頑張ってくれていたのだと思いますが、そんな苦労もつゆ知らず、「先生顔が赤い」とか見た目をいじってごめん。「アトピーや!」と返事させてもっとごめん。

 

暗すぎて記憶が確かではないのですが、「どんな30歳になりたい?」という質問に英語で答える授業がありました。そこで卓越した暗さを発揮した私は、

私は30歳まで生きたくない。そんなに歳をとっても楽しいことなんてないだろうから、早く死にたい。

と書いたのです。高校1年生で、わざわざオーストラリアからつたない英語を見てもらっている立場で、めっちゃ暗い!!!空気読めない!!!

 

その時の先生の返事は

そんなこと言わないで。私は30歳を過ぎているけど、人生には楽しいことがたくさんあるわ。

みたいな感じだったと思います。その時に「うわっ、ごめん!!30歳を年寄りみたいに言ってごめん!!」と少し思ったような気がします。

 

当時はまだ15〜16歳で、30歳なんてすこく先のことのように思えて、それまで自分の精神が持つとは到底思えなかったのです。そして「それまでには死にたい」という発言が持つ破壊力も理解せず、ある意味イノセントでナイーブだったようにも思います。

 

今はすっかり30歳も超えて、昔より好奇心があり、大学院に行きたいと思える程度には人生を充実させる意欲もあります。むしろ20代に戻ってワーホリとかしたいし、大学院留学だってもっと前に覚悟していればしがらみも少なかったのにな…と思うほどです。

 

当時はつゆほども興味のなかったオーストラリアですが、留学ではオーストラリアに行きたいと思っています。当時、顔も知らないとにかく暗くて発言がヤバい高校生を励ましてくれた(というか励まさざるを得なかった?)あの大学教員の方にも、そのupsettingな高校生が少しまともになって生きているということを伝えたいなぁ。名前も覚えていないけど。

 

これは下記のnoteの記事から転載しました。

note.com

30代半ば、現時点では子どもを持たないかもしれない

私はミクロからマクロレベルで世間に色んな心配事があるので、子どもを産む気がないです、と当時の彼氏(現在の夫)には伝えていました。

 

欲しくない理由は

  • 自分にコンプレックスがあるので、それが遺伝したらかわいそう(「お母さんのせいでブスやん!」「お母さんのせいでアホになった!」とか言われたら最悪や…)
  • お金がない。子どもが海外、しかも先進国の4年制大学に進みたいと思った時に、「行っていいよ」と背中を押せるか?うーん、奨学金とかもあるけど、うーん。
  • 子どもに「ゲーム買って」と言われた時の対応、どうしよう?(買わないと友達と遊べない世の中になっているのを感じるけれど、知人が「うちの子はゲームの中で人を殺してて…」と苦悩しているところを見て、心配)
  • 長く続いている現政権にうんざりしている。こんな政権がいつまでも選挙で勝つ世の中に子を産み落としていいのか?
  • 地球を破壊するライフスタイルが蔓延していて、自分ももちろんその一部となっている。SDG sとか言ってるけど、それを子どもに担わせるのは荷が重いのでは?(むしろ世の中を変える人になって欲しいがために産んで育てる!?とか考えたこともあったけど、それこそ重荷…)

と、ヘンテコな頭の中で色々考えて、前向きに産めないのです。もちろん産むと決意した人のことは本当に尊敬するし、私が産もうと決意したからと言ってできるとは限りませんが。

 

このような背景は夫に伝わっていて、本人も最初の方は「そのうち気が変わるだろう」と思っていたようですが、だんだん「僕はあなたがいれば子がいなくても大丈夫」といった発言をするようになりました。

 

彼は家族大好き人間で、結婚したら自分も自らの親のように子どもを数人迎えて、、という風にもともと考えていたと思います。でも私がなかなか意見を変えない(というか下述のとおり、産む方向に気が向いてもすぐ気が変わる)ことから、だんだん子どものいない生活をイメージしやすくなった模様です。お金のこともあるしね。

 

上述の「産まない理由」もありつつ、実は私の頭の中のホットイシューは日々変わるため、先日は「産むことを前向きに考えるか!?」というマインドになり、夫と話してみました。

 

結論から言うと、私にもう少し勉強したいという気持ちがあるのを知っている夫から「その選択があなたのやりたいことを阻まないのであればいいけど」と意外な言葉が。

 

うちは共働き前提の家計設計なので、産んだら子育て+仕事+家事を2人で分担しながら、私は勉強をする、ということになります。それくらいできる、と言ってみたいものですが、子育て中の方のお話を聞くと難しいだろうなという想像は簡単につきます。

 

「僕はあなたの子どもならすごくかわいいだろうと思うし、すごく楽しみでもあるけど」と言う夫との子がもしこの世に生まれたら、どっち似かな?どんな性格かな?名前は何にしようか?と色々想像も膨らむのですが、なかなかマイナス要素が膨大で、即決できません。

 

調べていると、産みたいのに授からないという声や、産まない選択をしたが周囲との意識の差に絶望したという声が多く見られたように思います。少数ですが「産みたいかどうかわからない」というブログ記事などもありました。もちろんブログを読んだからといって私の答えが出るわけではなく、そうやって悶々考えているうちに産むタイミングを逃しそうだな〜と今から思っています。

 

同年代や、年下の子たちが産み始めているのを見て焦るという気持ちも特になく。先日、夫の妹さん(20代)が真剣なお付き合いをしている人がいて〜、という話を聞いた時に、「あ、先を越されたら複雑かも」と一瞬思いましたが、今はどうでもいい。

 

いっぱい考えてもその時のノリで意向が変わってしまうので、あまり自分の決断を信頼していないのもあります。

 

これは下記のnoteの記事から転載しました。

note.com