編(アム)

オーストラリアでソーシャルワーカーになった中年の話

オーストラリアの大学教員を困らせた話

名前を「全体的に暗い」に変えました。noteでは大学院留学を目指す過程を残そうかなと思って始めたのですが、諸事情によりまだ目指し「始め」に至っておらず、必然的に過去を振り返り記録をする投稿になっています。そして振り返ると、それは…「全体的に暗い」、です。

 

なぜか中学から高校、大学、さらに20代後半になるまで性格がとても暗く、ネガティブに生きてきました。生きるテーマは「世の中になるべく迷惑をかけない」というマイナスなもので、そのテーマすらも「自分は世の中に迷惑をかけているなぁ」と気付かないままネガティブな自分を受け入れてくれない世の中にキレていたヤバい時代を乗り越えた故のテーマでした。

 

さて、そうやって自分のネガティブさが異常なことにも気付かず、周りにキレまくっていた時の話です。

 

私は高校で国際系の科に所属していて、当時の英語の先生が、オーストラリアのアデレード大学の教員にオンラインで英語を教えてもらったり、現地学生と交流できたり、という試験的な取り組みを授業に導入してくれました。導入にあたって高校の先生もさぞかし知らないところで頑張ってくれていたのだと思いますが、そんな苦労もつゆ知らず、「先生顔が赤い」とか見た目をいじってごめん。「アトピーや!」と返事させてもっとごめん。

 

暗すぎて記憶が確かではないのですが、「どんな30歳になりたい?」という質問に英語で答える授業がありました。そこで卓越した暗さを発揮した私は、

私は30歳まで生きたくない。そんなに歳をとっても楽しいことなんてないだろうから、早く死にたい。

と書いたのです。高校1年生で、わざわざオーストラリアからつたない英語を見てもらっている立場で、めっちゃ暗い!!!空気読めない!!!

 

その時の先生の返事は

そんなこと言わないで。私は30歳を過ぎているけど、人生には楽しいことがたくさんあるわ。

みたいな感じだったと思います。その時に「うわっ、ごめん!!30歳を年寄りみたいに言ってごめん!!」と少し思ったような気がします。

 

当時はまだ15〜16歳で、30歳なんてすこく先のことのように思えて、それまで自分の精神が持つとは到底思えなかったのです。そして「それまでには死にたい」という発言が持つ破壊力も理解せず、ある意味イノセントでナイーブだったようにも思います。

 

今はすっかり30歳も超えて、昔より好奇心があり、大学院に行きたいと思える程度には人生を充実させる意欲もあります。むしろ20代に戻ってワーホリとかしたいし、大学院留学だってもっと前に覚悟していればしがらみも少なかったのにな…と思うほどです。

 

当時はつゆほども興味のなかったオーストラリアですが、留学ではオーストラリアに行きたいと思っています。当時、顔も知らないとにかく暗くて発言がヤバい高校生を励ましてくれた(というか励まさざるを得なかった?)あの大学教員の方にも、そのupsettingな高校生が少しまともになって生きているということを伝えたいなぁ。名前も覚えていないけど。

 

これは下記のnoteの記事から転載しました。

note.com