編(アム)

オーストラリアでソーシャルワーカーになった中年の話

疲 インプットとアウトプットのバランス

こんにちは。

何だか過去2~3週間くらい、職場の他の人も私も、「何か知らんがしんどい」時期でした。季節の変わり目?ブリスベンもだんだん寒くなってきてじっとりしていたところ、何だか急に暖かくなったり、雨が降る降る言いながらなかなか降らなかったり。

日々クライエントのトラウマに触れている職業柄、「自己免疫疾患になった」とか「ずっと体調が悪い」とかいう、カウンセラー自身の体調不良の話もよく聞きます。本人がトラウマのヒストリーを持っていなくても、vicarious trauma(代理トラウマ)が無意識のうちに身体を蝕むこともあるようです。それは「謎の体調不良」で片づけるのか、労災の対象になるのか?労災にはならないだろうな…私の噛みしめの結果歯が欠けた件も、治療費払ってくれたらいいのに。。こういうこと考えていると、鈍感というか無神経というか(悪口ww)な人の方が長期的に務めて昇格していく確率高いんやなとか思いますね~

 

ところで私はインテイクワーカーなので、比較的短期間のみクライエントと関わる役割なのですが、色々イレギュラーがあってそれ以外の関わり方もするようになってきました。カウンセラーが通常持つクライエントとの長めの関わりって、もちろんクライエントを知り、共にトラウマからの回復という課題に取り組み、ゴール達成を見届けるという素晴らしい側面もありますが、スパスパとインテイクをこなし短期介入だけしてクライエントとグッドバイ!してきた私からすると、少し消耗しそうで怖い分野です。でもカウンセリングを勉強して、せっせとカウンセラーとしての役割もできるように準備している矛盾。

 

とにかくイレギュラーな長めな関わりはリスクを抱えることにもなります。別にクライエントのこと「重いな」とか思うわけではないですが、やっぱり心身ともに疲れやすくなっている実感もあります。とっても素晴らしいチームリーダーが「これらの案件を抱えている間はインテイクの数をこなさなくても大丈夫」と言ってくれているので、少しゆっくりじっくりやろうと思いますが。

 

このイレギュラーな案件関連と、そのために色々本を読んだり調べたりしているのと、カウンセリングの勉強と、ただただインプット過多。オンライン映画祭とか貴重な機会があると参加したいのですが、これ以上インプットを受け取るのは難しいだろうなと判断しています。まぁ爆発する前に自分のキャパオーバー気味なことに気付けるようになっただけ内省能力が上がったと言えるかもしれませんが。

 

突然ですが最近の私のインプット内容のご紹介(このブログも大切なアウトプットの場なのですがちゃんとした内容と文章を書くのが億劫であまり活用できていません…Threadsで呟いたら変な人に攻撃されるし…)!

 

The Body Keeps the Score by Dr Bessel van der Kolk

トラウマ研究の権威的なおじさん(もう83歳みたいです!)なのですが、私の中の印象では「台所に炊飯器ある人」が書いた、一般向けでもあるトラウマに関する本(National Institute for the Clinical Application of Behavioral Medicineという機関のトラウマシリーズ動画を職場で見れるのですが、その中でこの人はいつも台所からトラウマの話をしていて、背景に炊飯器がある)。この人の本を読んで、トラウマは脳だけで起こっているのだけでなく、身体に刻まれている、ということがストンっと頭に入ってきました。まさにthe body keeps the score。ヨガとか演劇とかがトラウマ回復に有効であるということを説いています。ここでPDFで読めちゃうけど、オーストラリアではTargetとかで売っています。

 

グリーフケア入門:悲嘆のさなかにある人を支える by 髙木慶子 編

これは正直、、、グリーフケアがもうすぐ必要になるかもしれないというクライエントがいる時に読み始めて、そのリスクが去ったので途中までしか読んでいませんが。色々な人が各専門の視点からグリーフ&ロス(大切な何かを失くした時の喪失)について述べています。各章に少しずつ私の実践でも役に立ちそうな考え方が載っている一方、カウンセリングとしてどうアプローチしたらいいのかよりも理論が重点的に展開されているので、(読むのは)今じゃない、と思いました。でも弊団体のとある地域のクライエントに対してはグリーフ&ロスが有効なカウンセリングアプローチだという話を聞いたことがあるので、今後も学び続けたい分野です。

 

あとは炊飯器おじさんの同僚で同じくトラウマ研究の権威であるPeter A. Levine氏のソマティック・エクスペリエンシングというアプローチの研修を受けようと真剣に調べていた時期もあり、その可否を判断するために彼の著書Waking the Tiger: Healing Traumaの日本語版もKindleでダウンロードしたのですが、PDFみたいな画面で文字の拡大ができないくせに余白が大きくて視力が悪化しそうなので進んでいません(言い訳w)。でも日本で研修をおこなっているPeter氏の直弟子らしい花丘ちぐささんの訳、とてもいいです。誰とは言いませんが別のアプローチに関する日本語訳の本を買ったら、日本語が下手過ぎて読み進められませんでした。でも日本語の方が安いし、いい翻訳だったら頭に入ってきやすいのよね~オンラインだったら買うまで訳の質がわからないから辛い。

このソマティック・エクスペリエンシングのすごいところは、必ずしもトラウマについてクライエントが話さなくてもよいということ。従来の会話療法とは違い、keeping the scoreなthe bodyに直接働きかけるとのことです。私は炊飯器おじさんの本を読んでから、英語が話せない・話せても心の機微を表現しにくい難民バックグラウンドのクライエントにこういうソマティック(身体的)アプローチがより効くんじゃないかな~と関心を持っています。むしろ日本で受けた方が安いので一時帰国ついでに受講しようと思ったのですが、安いといってもそこまで格安とかではないので保留中。

 

タッピング入門:シンプルになった<TFT & EFT> by Dr Roberta Themes 浅田仁子 訳

タッピングはクライエントに落ち着いてもらう時に肩や手をタップ(トントン叩く)した経験の中で結構有効だったからもう少し調べよう~と思って買ってみた。そしたらTFTやEFTという、私が思っていたのと違うタッピングの手法があるらしく、興味深く読みました。日本語訳も面白いし、「え!?そんなんで効くの!?」と驚く魔法みたいです。これ、実際にほんまに効くのか誰か教えて…クライエントに使っていいかな…難民バックグラウンドの方々が抱えるトラウマにも効くのかしら。

 

あとはひたすらカウンセリングコースの勉強、ロールプレイの準備、たまに『台湾漫遊鉄道のふたり』 by 楊双子を読み進めるなど:台湾出身の友人が「日本による台湾の植民地下の様子が描かれていて本当にすごい、面白いから読んで!」とオススメしてくれたものです。

しかしカウンセリングコースの勉強では「どの学校に行こうか迷う」とかのノホホンなトピックが多く、トラウマカウンセリングとの乖離がすごいですね。いやもちろん学校選択もとてもシリアスで重要な意思決定ですし、意思決定のサポートを受けられる場としてカウンセリングがオファーされているのはとてもいいことなんですけどね。

 

そういうわけであちこちの本に手を出して色んな答えを探す日々。ソマティックエクスペリエンス、センソリーモーターサイコセラピー、インターナルファミリーシステム、アクセプタンス&コミットメントセラピー、認知行動療法など、引き続きどんなカウンセリングアプローチがよいかしらと模索していますが、何でも「認証」的なものを受けようと思うと高いですね。そうやって炊飯器おじさんやその仲間たちが収入を得るのはわかるし応援していますが、本当にトラウマ治療を進めたかったら、誰か無料で知見を共有してくれないかい?もしかして…それがタッピングなの!?とか思ったり。いえ特に思っていません。

 

あとはアウトプットの場をどうやって確保するかも近い今後の課題ですな~

トラウマからの回復の手法とリスク管理の話

トリガーウォーニング

この記事では自死についての記載があります。

 

最近クライエントのヘビーな状況が続いています。仕事先はトラウマ・拷問のサバイバーの回復を手伝う仕事なので当たり前っちゃ当たり前なんですけど。

 

つい先日、「添付の雇用契約書にサインして返信してください」ってメールが人事から来て、添付書類を開いたら「無期雇用」って書いていたんですよ。え?誰にもそんな話されてないけど、まさか有期雇用から無期雇用に抜擢されたの私!?(雇用開始時は1年の契約職員)いや~まだ1回目の契約更新すらしてないのにこの大躍進、頑張った甲斐があったなぁ~と涙目になって人事部に聞きに行ったら、「自分のチームリーダーに聞け」と言われ→チームリーダーに言ったら低いテンションで「シニアリーダーに確認するからちょっと待て」と言われ→シニアリーダーが人事部の部長に話に行き(この時点で「あ~、きっと間違いだな」と思い始め、違う理由で涙目)→シニアリーダーから「人事部長が話があるって」と呼び出され→人事部長に平謝りされる、「ミスに気付かなくてごめん」と。

 

っていう話は別にいいんですよ、クライエントのトラウマ体験とは比較にならない痛みです。

 

どうにか、私のイマジネーションを超えるトラウマ体験とともに生きるクライエントを支えるため、有効なセラピーはないものかと探る日々です。あとこうしたセラピーの技法を身に着けようと思うとすんごい高いので、安めなトレーニングを探しています。笑 オススメ教えてくださーい!

 

何とかクライエントに安全な日々を過ごして欲しいと思う一方で、所属する組織には割と限られたキャパしかないんやな~と気付き始めた最近。安全というのは、「リスクが最低限に抑えられコントロールできる状態」を意味し、リスクとはDFV(家庭内・パートナー間の暴力)、児童保護、ドラッグ・アルコールの使用、そして自殺関連のリスクを意味することが多いです。メンタルヘルスのサービスとしてはこれらのリスクが常に伴うと言っても過言ではないのですが、自殺関連以外はそれを専門とする団体にレファーラルを送ってしまえば、そっちの団体にリスクを横流しできてしまうという感じ(もちろん可能であればメンタルヘルス面でのサポートは継続しつつ、です)。例えばパートナーからの暴力を経験しているクライエントは、もしその影響でカウンセリングやグループワークに集中できないというのであれば、私たちの団体としては「DFVの状況が落ち着いたら戻っておいで!」と別のサービスに送り出すのです。もちろん場合による。今回はすべて場合による話です!

 

しかし自殺リスクがある人に関しては、ほとんどはメンタルヘルスに紐づいたリスク=うちの団体のサービスの範疇だし、トラウマを経験したクライエント(つまりうちの団体のクライエントの全員)はその痛みが強すぎて、生きることを諦めたくなる状況にある人が非常に多いです。つまり、トラウマにより精神的な病気を抱えてその病状の一環として自死に至ってしまうリスクも、病気や判断力の低下はないけど過去・現在のトラウマ的状況がすさまじいために自死したいと思ってしまうリスクもあります。

 

でも私の団体としては、このリスクが低いケースしか受け付けず、クライシス(命を失う危機にある)状態のクライエントは断るんです。でもでも、この状態のクライエントをサポートできる制度や組織ってあんまりない模様なのですよね。では誰とそのリスクを共有すればいいのか?その共有先の団体はトラウマや文化的なマイノリティに対応できるキャパがあるのか?クライエントをその共有先にレファーして、クライエントは安全に過ごせるのか?……何かイマイチっぽい。

 

具体的に言うと、某メンタルヘルスサービスがほぼ唯一、私の組織の営業時間外にも動いているのですが、一定のクライエント層しか想定していなくて、私の組織のクライエントにとっては余計にトラウマが増えそうな予感がしています。そもそも「精神的に不調で病院にかかる」ことのスティグマもあるし、言語しかり、マイクロアグレッションしかり、自殺リスクへのアプローチしかり。まぁこの点については私はそのサービスへの影響力がないからただの愚痴レベルの話なんですけど。

 

あまり詳細に書くとエシック的に引っかかるので述べられませんが、私がびっくりしたのは、自分の働いている組織において自殺リスクがあるクライエントへの耐性がかなり低いということ。

  • 私が偶然サポートしているクライエントについて、とあるチームリーダーが「わぁ、5~6人分くらいの重みのあるケースだ」と言った。え?あなたのチームってそんな軽いケースしか取り扱ってないの?
  • 私はインテイクなので、クライエントとは基本的には短期の関わりしか持ちません。そのクライエントを長期的な介入のチームに引継ぎしようとしたら、「リスクが高すぎて、抱えきれない。外の団体とリスク共有(いい言い方をすればサポートネットワーク)ができてから引継ぎをして欲しい」と言われる。具体的には、「精神科医を入れて自殺リスクアセスメントと投薬を検討してはどうか」とか。
  • でも上述の急性期メンタルヘルスの話の通り、他の団体で適切な介入をできるところがない。だからこそ長期的なカウンセリングを通じてクライエントのピンチ時に生き残れるキャパビルをするのが大事なのでは?
  • というか、この全体的なナラティブが、このクライエントを人間としてではなく、「歩くリスク」として見ている感じがする。詳しく言えないけど!このクライエントは状況的に「もしも~が起こったら、辛すぎて死にたくなってしまう」というリスクを抱えているのであって、それは本人を薬でどうにかするっていう話ではない!
  • もちろんこの会話があった場には私と同じ意見の人もいて、「もっとさ、クライエントが安心して関われる組織として包括的に支えようよ!何やねん投薬って!」と疑問を持つ声も(陰でw)あり。これに関しては職員のバックグラウンドが結構関係している気がします。ソーシャルワーカーは「人を見よう!クライエント中心で!何でも病気として見るの反対!」である一方、サイコロジストは「リスク!症状!脳が大変!投薬しよ!」となりがち、みたいな。もちろんそうでない人もたくさんいると思うけど。

 

何だかな~。組織としてリスク管理が大事なのはわかるけど、ちょっと守りに入り過ぎっていうか、そもそもの団体の存在意義である難民や庇護申請者のトラウマからの回復っていう視点から見ると、このリスクを上手くマネージできると胸張って言えないってどうなん?何かが欠けていないかい?と思ったり。

 

私はインテイクなので本格的な・長期的なカウンセリングはしないのですが、クライエントの精神的ピンチ時に役立つスキルを提供できるようにいち早くなりたいよ!カウンセリングコースの勉強はボチボチ進めているけど、このコースも急性期は対応していない感じです(まぁ、カウンセリングってそういうもんか)。実践を積みつつ、組織の動向を探りつつ、何とかクライエントが生きるという選択をできるよう、安全な場を提供することに尽力するしか。。。ひぃ。

最近買ってよかったもの

今年の目標の1つ(1つしか覚えてないけど)は「足るを知る」で、あまり物欲に左右されないようにしよーっというものだったのですが、日本に数日帰国して爆買いしてしまいました。クレジットカードのポイントアップまであと数万円だったのと、戦争が始まったら「あの時買っときゃよかった」と思うかなぁと思って、、、(悲)

 

もうすぐ40歳になる私、頭皮ケアにハマっています。ミツコさんのオススメでWeledaのスカルプクレンジングを買ったり、それを知った友達に同じくWeledaのヘッドスパブラシをもらったりしていたのですが。スカルプクレンジングは日本限定なんですよねーあと3,000円する。

そこで、SukinのScalp Scrubを使っています。よく50%OFFしているので1,000円くらいで買えるし、(もはやWeledaの使い心地を忘れたけど)結構スッキリするし、何より頭を毎晩洗わなくてもよくなった!!!!!オーストラリアの人っていうか東アジア人以外?、毎晩頭を洗わない人が圧倒的に多い中、「私はもう2日目で頭がかゆくなって、かいたら指につく脂が臭くて無理!」と思っていたのですが。このスクラブを使ったらあら不思議、最長4日くらい洗わなくても大丈夫でした。いや周りは「こいつ加齢臭すごいな」と思っているかもしれないけど。

あとはヘアマッサージャーも買いました。これで少しでもほうれい線が改善されるといいのですが、、、上述の通り、頭を洗わなかった次の日は朝から北麗草水のスカルプモイストセラムをつけてヴィーンとマッサージします。いやこれは最近買ったものではない。

あとは今回の帰国で無印良品のヘッドスクラブも買いました。バズっているらしくてミントしか買えなかったけど、私の油脂にはミントくらいがいいかも。また使ったら感想ここに書きます。いや多分書かない。

 

あとは歩き方と姿勢改善をしたく、オーストラリアに遊びに来ていた友達が使っていたこちらを購入。何だか、右足がまっすぐ前に出ない気がするし、外反母趾が気になるので、ちゃんと着地して足を出せるように矯正したいなーと思い。これを使うと、足首がちゃんと支えられ、変な動きをしないような気がする。

 

料理をちゃんとしよう、と思った時にまず買いたいなと思ったのがせいろです。なかなか日本製のせいろは出回っておらず、日本の通販で買ったのが四角せいろ。なかなか日本製にたどり着くのが難しく、お手頃なのは中華せいろではなく四角のものでした。これもリンクを貼ろうと思ったけど、楽天のページ見にくすぎてどこを貼ればいいのかわからなかった!インフルエンサーじゃないからいいよね!これのいいところは、蒸し板付きなので、鍋がどんなサイズでも板の上にせいろを置ける点。あとは、地元の美味しい蒸し料理やさんのものと見た目が近いので何か嬉しい。

 

あとは40歳目前にして急にクマが目立つようになってきまして。ほっぺたの調子は過去2年で最もいい感じで(毛穴はすごいけど、それはもうデフォルトで受け止める)、太っている+頬骨のお陰でシワも特にないのですが、とにかく疲れて見える!10時間寝て起きて鏡見たら噴き出すレベルです。そこでアイクリームに手を出しました。これは急には効果は出ないでしょうから、何か月も継続して結果が出たら報告することにします。いや多分しない。笑

 

体重があまり減らないまま2026年も後半が間近になりましたが、相変わらず肥満な私。結構筋肉もあるはずなのだけど、それを凌駕する脂肪が、更年期にかけて血液に悪さするらしく、、、オンラインフィットネスを開始して早1年半。運動ゼロから週1に増やしたけどまったく痩せた感はありません。週2にしようかな、でもオンラインフィットネスのコースは週1の次は上限が週3なんよ~、とブツブツ言っていた私に、頭のいい友人が一言。「でも週3のコースにして週2だけ運動しても、週1よりレッスンごとの金額は安くなるんでしょ?それなら週3やるぞって無理するより、週2を目標にしてコースをアップグレードすれば?」と。さすが私の10倍以上の資産を持つスーパーエリート!!というわけで、6月から運動を週2か3に増やすコースに変更しました(素直)。

そして運動する時に周りにご迷惑をお掛けしないために、爆買いついでにノイズキャンセリングヘッドホンも買いました。

運動と言えば、歩数でピクミンを育てるアプリもやっています。涼しくなってきたので職場まで45分くらい歩くなど。でもアプリを見ながら歩く必要がある部分もあり、危険だし、スマホの充電もすぐになくなるので最近は興味がなくなってきました。

 

いやーーディプロマの2つ目の科目の課題を提出したので何か書くぞ!とワクワクと書き出したのにいつも通りめっちゃしょうもない内容になってしまいました!何が言いたいかというと、頭皮がすっきりすると結構気分上がる!

友人の訪問と仕事の状況と生活のあれこれ

友達が日本からブリスベンに遊びに来てくれていました。

この友達はフィリピンのスタディツアーで1回会ってからめちゃくちゃ気が合って、でも学校も職場も住む場所も全然すれ違わなくて笑、過去に大阪、東京×2、友達の元職場のある県、ニューヨークで数年に1回再会してきた仲です。

友達は鹿児島出身なので、鹿児島弁イントネーションを学びました。「こんなに上手い人初めて会った!」と褒められましたよ。やっぱりハーフ鹿児島人やから…✨(戦後のあれこれで国内移民した親の元に生まれたので、文化・言語的鹿児島ルーツはほぼ消失しています)?

 

曇天から見るゴールドコースト

曇天により霧がすごい感じのSpringbrook National Park Canyon Lookout

Lone Pine Koala Sanctuary カンガルーもコアラも飽きるほどいました

 

今月は友人の訪問と日本への短期帰国が入っていて色々イレギュラーで、まだ日本に帰っていないのに疲れています。仕事をポンポンとテンポよく進められないことにもどかしさを感じるのが原因かもしれません。早く日常に戻りてぇなぁ~って思ってしまいます。あと、年を取って、友人と何日も一緒にいると疲れやすくなっている…(友達、あんたのせいじゃない!私のキャパの問題やで!)

 

仕事は念願のフルタイム勤務が開始し、少しずつカウンセリング的なこともするようになってきました。私はインテイクの役割ですが、長期的なカウンセラーがアサインされるまでに短期的に解決できる課題については介入(具体的には、他サービスにクライエントの声を届けるアドボカシーやレファーラル、短いカウンセリング的なセッション)することになっています。※できてるのかわからないけど、もちろんリスクが高いと判断したら手を出しません。

 

あとは勤務日が1日増えたのでブリスベンのクライエントを多く受けることになり、Toowoombaのクライエント層とはまた違う話を耳にするように。色んな形の苦しみ、悲しみ、トラウマの形がありますね、当たり前ですが。過去の苦しみと悲しみから抜け出すことが困難な人もいれば、今現在、「先進国」の好き勝手な振舞いにより自分の家族に危険が迫っている人も。いずれも戦争、紛争、テロなど、「先進国」に振り回されてきた歴史的経緯による被害者です。話を聞いている私も怒りでよく鳥肌が立ちます。そして冷静になると、あぁ私は加害者側にいる、と、それは抑圧者であることへの悲しみに変わります。

 

ところで早くDiploma of Counsellingを進めたいのですが、1日何時間もカウンセリング的なことをした後でコースのPDFの資料を読んでワークブックを進めるということがなかなかはかどりません。でもこれが通学して対面授業であればはかどったか?というと、まったくそんなのできる気になりません。笑 また、Toowoombaへの出張時に以前はDBTとかポリヴェーガル理論とかについてのポッドキャストを聴いていましたが、「メンタルヘルスの仕事をしていて移動中にメンタルヘルスについて学ぼうとしても全然頭に入らない」という気付きがあり、関係ないのを聴き始めています。しかも日本語で聴くのがいいや。オススメありますか?安住さんの日曜天国を主に聴いていますが、2008年のものから聞いていると、コンプラ的にオイオイ!なものが多いですね。

 

最近は結構パンを焼くのにハマっていて、なるべく簡単なレシピを探して食べています。あとは、友達が来ている間に照り焼きチキンとか味噌汁とかを出したら「ちゃ、ちゃんとしている、、、美味い、、、沁みる、、、」とえらい感動してもらえたので、私もいつ誰に食べてもらっても美味しいと思ってもらえるよう、ちょっと真面目に料理しよう、と思えたのでした。

 

 

そういえばこのブログ、こんなに偏ったプライベートな話なのに、最近は意外と訪れてくれる人が多くいるみたいです。多分「オーストラリア永住権」で検索して出てくるのでしょうけど、全然参考にならなくてすみまへん。。。

 

日本出身でオーストラリアでソーシャルワーカーをやっている人ってどれくらいいるんでしょうか?ソーシャルメディアを見ていると、看護師に比べたら少ないような。いつかグループスーパービジョンとかできたらいいなぁ。

Positionalityの話

昨日、「東大遺骨返還プロジェクト」のシンポジウム「植民地主義と学問の責任:東大150年、帝国大学を問い直す」をオンライン視聴しました。

 

東大生でもなく、当事者でもない私ですが、特権があり抑圧をする側として、これからの生き方について考えさせられる示唆をいただきました。一部は大学院でソーシャルワークを学んだ時に考えたことがあるトピックなのですが、今卒業してソーシャルワーカーという立場になると、それがどう実践に取り入れられるのか、改めて頭の中に置いておきたいと思いました。めっちゃ浅くつたない感想文ですが未来の自分へのリマインダーで置いておきます。シンポジウムの内容についてはあまり口外しない方がいいかと思いますので、ぼんやりと自分の中で少し考えたアウトプットのみ。

 

①研究や実践がOppressiveになるという視点

そりゃそうだ!なんですが、「社会をよくするため、技術を進歩させるため」という大義名分のもと、研究やソーシャルワークは展開されるんです。「私の方が物知りで影響力があるのだから、そうでない対象を搾取してもいい。私の知的探求心が優先されて当然」とか、「私の実践は正義感に基づくもので、正しいことなのだから、正しくないおこないを直してあげないと」という考え方になりがちなのですよね。

 

わかりやすい事例が東大による研究対象としての遺骨の「保管」です。おったまげたのですが、東大には琉球人の方々やアイヌの方々、オーストラリアのアボリジナルの方(方々?)の遺骨も置いているそうです。遺骨ってほとんどの社会ですごく重要で、とても大切にまつられる、人間の弔いに欠かせないものですよね…災害や争いで人命が喪われた時、遺された人たちにとって「遺骨を抱く」ことって本当に重要です。そんな簡単なことに考えが及ばないってことは、相手を人間として見ていないということです。傲慢極まりない。

 

もう少し些細な事例として私が思い出したのは、とある日本の地域について研究する社会学者の方々によるパネルディスカッションでした。そこに当事者はおらず、日本の中でいう中心地にいながら、その地域によく足を運んで人々の暮らしを洞察し、研究発表する人たちだけの集まり。「あの人たちってさーこうだからさー」、「あはは、わかるわかる笑」みたいな、当事者をネタにする感じの話しぶりや、その背景にある抑圧構造に無関心なくせに社会学者として世間にちやほやされていることとか…んいやぁー嫌い!!ってなったのを思い出します。まぁ社会学者はソーシャルワーカーではないから、抑圧に無関心でも社会学的に優れていたら(学術として、当事者のこれまで明らかになってこなかった暮らしとかを世間に知らしめたら)いいのか?でもそれを言うと「音楽に政治を持ち込むな」みたいな暴論につながることになりません?私、影響力を持ちながらも政治的発言とか自分のポジションについて明確な発表とかない有名人、最近静かにボイコってます。よ!

 

これは私もすでに有罪(フィリピンに住みまくってフィリピーノ気取りでの発言とかしちゃう)かつ仕事を通じて本当に気を付けないといけないな~と思うのですが、どうしたらAnti-oppressiveになるのか明確な答えは見えておらず(そりゃ見えないままトライするしかないのですが)。例えばトラウマからの回復をする上でクライエントの自己決定権を尊重するというのは当たり前に言われていますが、インテイクの段階で回復の準備がまだできていない人に対して、「サービスを受けられなかった」とか「否定・拒否された」という失望感につながらない形でのクロージャーはどのように導き出せるのか。クライエントが一番困っている課題がカウンセリングで解決できない時に、どうやってオーストラリアの制度の隙間から取りこぼされないように支えるか。「私たちはオーストラリアの西洋モデルに基づくメンタルヘルスサービスだから、こちらに合わせてください」と強気で言っちゃわないか。などなど。

 

②当事者ではない人間が当事者「のために」や「とともに」研究や実践をすること

上記のことを踏まえて、このシンポジウムの発表者の方々はPositionalityについて一定時間を費やして協議されていました。研究や実践をする上で「私はこういう立場を取って、こういう視点から関わっています」と自分の位置を明らかにすることです。まさにこのシンポジウムには当事者は登壇していませんでしたが、当事者に出てきていただくまでもなく、加害者側で自分たちの加害性について話し合おうぜ、という感じの呼びかけというか宣言がありました。ちょっと下記の自分の中の話とごっちゃになっていたらごめんなさい。

 

1つ目の自分の話は、自給150ドルの友人Kの話。彼女は私たちの母校サンシャインコースト大学で、インド出身のコーディネーターの下、アボリジナルの人々・トレス海峡諸島民の人々とのはたらき方について学部生にチューターをしています。このコースは、元々はアボリジナル当事者の方がコーディネーターをしていたのですが、大学がしくじって彼女は辞めてしまったそうです。そして引き継いだのが、インド出身の人。私たちもこの方から教えてもらいました。

何か、さ、、、肌の色で講師決めたん?という冷たい見方もできるのですが、きっと、肌の色で判断される痛みを知っている人の方がより良く教えられるだろう、という判断のもと選ばれたのでしょう。しかし彼女は学部生向け授業ではコーディネーター(授業責任者)だけ担当することになったため、友人Kにチューターの話が来たのです。友人Kはイギリス・アイルランド系のコーカサスです。そして、白人チューターが白人学生に教えるオーストラリア先住の方々に関する授業という構図が出来上がるのです。それについてKと話した時、Kは「でも白人が、自分たちがどれだけ有害で抑圧的かということを振り返るために、わざわざ当事者に教えてもらうまでもない。さらに、植民地主義者の白人がクラスにいるかもしれないという安全を担保できない中で当事者に登場してもらうことは、さらなる抑圧の再現になる」と言っていて、なるほどな、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(長い噛みしめ)と納得しました。

 

2つ目は、つい最近なのですが職場で南アフリカ出身の同僚と何となくアパルトヘイトの話になった時のこと。多分私が今聞いているポッドキャスト「Boycott!」で、南アのアパルトヘイトに対してオーストラリアがボイコット運動を展開したっていう話を学んでるよ~と私が話題を出したんですよね。そしたら同僚Mは「面白いよね、南アの白人による黒人への抑圧という当事者では解決できなかったことに対して、外部のオーストラリア人が圧力を使って制度廃止に貢献した。でもオーストラリア国内の非先住民による先住民への抑圧はまだ解決に向かっていない」と。そしてさらに、難民のメンタルヘルスという私たちの職場についても「あなたと私も、植民者でも先住者でもない新しい移民という立場で、先住の方々とのreconciliation(和解)に積極的に携わることはなく、でも先住の方々の土地で、難民の方々とはたらいている。そういう立場だから簡単にVoice to Parliamentを支持できたりするのかもしれないけど」と。うむうむ、そうよね。そしてどんな流れか忘れましたが私は琉球の方々やアイヌの方々に対して日本という国、政府、社会、個人がしてきたことについて言うと、「え!あの平和で優しいハーモニアスな日本にそんなことが!?」と驚かれました。ちょっとこの話題は盛り上がりそうなので、今度ゆっくり同僚Mと話したいと思います。

 

というわけで(?)、自分が見る不正義に対して、自分の立ち位置はどこなのかを考え理解することって本当に重要なんですよね。私は遠い昔、学生時代のボランティアとして庇護申請者の方々と地元でお会いして手伝った経験が本当に今の仕事につながっているのですが、オーストラリアに住み、植民地支配がつくり上げてきた今のこの土地に生きるというimplication(連累)とこの仕事のつながりをじっくり見つめて見極めたいところです。

 

③日本の社会福祉と少数民族:宮﨑理准教授のお話

登壇者のお1人、明治学院大学の宮﨑理准教授のお話がすごく面白かったです。まず日本の社会福祉分野でアイヌや琉球の方々に関する研究はほとんどないそうです。オーストラリアではソーシャルワーク=アボリジナル・トレス海峡諸島民の方々とのはたらきかたについて学ぶというのは基礎中の基礎です(なのにこのトピックの授業が必修でない大学も結構あり、私は入学前から失望していました)。それはソーシャルワーク分野が過去におこなってきた罪(先住の方々の暮らしをよくするという名目上子どもを誘拐して文化や言語、コミュニティを破壊してきた)について学ぶ正義でもあるし、悲しいことにその過去がもたらした社会経済的な不利は現在も続いているためソーシャルワーク分野でのクライエントに先住の方々が多いというのもあります。

 

あと哀悼の営みという、亡き人々を弔う機会を奪われることが世代を超えたトラウマにつながるという話。何故奪われたか?それは、社会がすべての命を尊重するのではなく、「この命は悲しむ対象、その命は非対象」と決めるから(Judith ButlerによるGrievabilityという考え方)。遺骨を奪われたアイヌの方々は、Grievabilityが低いと日本(大和人)から判断され、喪失のプロセスを経ることなく、今も民族全体で、悲しみを抱えていると。

これについて私が思ったのは、慰安婦像についてです。私は像の設置には反対ではなく、「当事者が置きたいと言っているのだから、置いたらええやんか」というスタンスだったのですが、この話を聞いて「像を置いて過去を忘れないこと、被害者を弔うことは、当事者とその家族・コミュニティにとってhealするために不可欠なものなのだ!」と、積極的な賛成になりそうです。あと数日このことについては考えたいと思いますが、そういえば仕事でも、伝統的な儀式や祈りを実践することはhealingの一翼を担うって言っていたな。像の設置はそのために必要なんだな。

 

以上、宮﨑准教授、大変興味深い研究をし、興味深い視座を持っておられます。と言いたかった。

 

というわけでこれからじっくり考えたい点いくつかについて書きなぐりました。

 

 

非常に関係ないですが、シドニーに行った時に講演で木箱に乗ってスピーチをしているおじさんが数人いたのです。調べてみたら、毎週日曜日に設けられるSpeakers' Cornerといって誰でも何でもディベートしていい場らしいです。結構人が集まっているおじさんと、誰にも聞いてもらえないおじさんがいました(後者は私たちに話しかけてきてくれていた気がするのですが、なんせ英語はBGMでしかないものでスルー。後で気付いて「ちょっと戻って聞いてみてもいい?」とパートナーに聞いたら、暑すぎてメルトダウンを起こしそうだったため断られました)。こんなの毎週末通って話を聞いてみたいですよね。ブリスベンでもつくってほしい。でも何でおじさんしかいなかったのかな?研究してみたい…

季節は逆でも新生活

前回の投稿から、ふわふわとしている間にアメリカ・イスラエルによるイラン侵攻をはじめとした西アジア各地域の情勢がみるみる悪化していき、心が憔悴しておりました。

 

パレスチナのことを思い続けたい、という想いで『The Voice of Hind Rajab』という映画も見てきました。これがフィクションだったらどれだけよかったか。苦しい悲しい悔しい。

 

私は結構「許せない」という気持ちを原動力に生きているんですよね。元々は自分が生きているのが許せない、生きてていいよという(自分からの)許可が欲しくて頑張っている。許可をもらうためには人の役に立たないといけなくて、世界のことを勉強して、国際開発の仕事をしてきて、今ソーシャルワークをやっているのです。そして日本やオーストラリアに住んでいると、その「許せない」という感情と距離が生まれるので、そうしないためにガザに関する映画などを積極的に観るんですけど。

 

同僚1(あえて文化的背景は言いません)は、「Allow your clients to experience it for you」と言いました。「クライエントが経験してきたこの世のものと思えない苦しみを、私たちはインテイクを通じて疑似体験する」から、その外で自ら苦しみに行かなくていい、と。

 

同僚2(国の大半に戦火が広がり、難民として国外退去を免れない人が多い場所出身)は、「どれだけあなたがそういったメディアに触れたからといって、完全に同じ体験はできない。あなたの仕事をするためにはあなたが元気でいることが第一に必要だから、自ら苦しみに行かなくていい」と言いました。

 

そういうものなのかな。もちろん触れないからといって忘れるわけではないけど、やっぱり私の日常のすべてが世界のどこかの人の苦しみと隔たれた場所にあるという状況は、自分を「許せない」要素になりそうなのです。。。

 

ずっとgrievingの一環でThreadsもやっていなかったのですが、ちょっと日常のことも呟こうかなぁと思ってみたり。呟いた瞬間に斜めの角度からのコメントがドッサリ来て消化不良を起こしたりしてますが!笑

 

 

さて、この3月で、11年半関わってきた日本の国際協力開発の経歴を手放すこととなりました。長かったなぁ。12年前にワーホリから戻って就職するはずだったNGOから連絡が来なくなり、ホテルの清掃のバイトをしながら応募した別のNGO。面接の時に「5年後のキャリアプランは何ですか?」と聞かれ、「ワーホリ2年目に行きたいと思いまっす★」とかいう緩い返事して受かったんですよね(後で聞くと、別に何をしようとどうでもよく、具体的にその後数年のプランを持っている人がよかったらしいです)。駐在すること、英語でプロとして業務すること、日本を代表して国際協力すること、プロジェクトマネジメントすること、自分で考え企画し実行すること、普段出会わないような人と出会うこと、人をマネージすることの辛さ、などなど、本当に色んな経験をさせてもらいました。

 

この仕事をしたから、私は自分に生きる許可を与えることができました。それまで自分の能力のなさ、精神的弱さ、人間関係構築の苦手さ、などなど、自分の嫌なところばかりに目が行く人生でした。でもこの仕事ですごく重宝していただき、「あれ?私って結構役に立ってる?」と思えるようになり、行く先々(特にフィリピン)で私を見ると顔をほころばせて喜んでくれる人たちができ、私の人生、悪くないじゃーん!と思えるようになりました。ほろり。何より、本部の年上の女性2人が本当にインスパイアリングで面白くて、居酒屋で7時間喋れる相手なのです。出会いに感謝★ってやつです。ほろり。

 

この経験があったからこそ、ソーシャルワークを通じて、国際開発では届くことのできない人にリーチしたいと思えるようになりました。仕事を通じてギュンギュン伸びた英語力を使って大学院に行く覚悟をしました。そして、プロジェクトマネジメントで鍛えた「物事を整理して考え、とにかくやるべし」精神がどのソーシャルワーク業務にも通用して、ありがたいことに仕事が途絶えることは卒業以来ありませんでした。

 

とまぁ思い入れのある、とっても大事なキャリアでしたが、色々合わない点も出てきて(っていうかオーストラリアに住んでるし!)離れることになったのですが、捨てる神あれば拾う神あり!素晴らしいタイミングで、オーストラリアの方の仕事でフルタイムのオファーをもらいました。これで少し貯金を増やせるようになるかと。

 

今週はオーストラリアの仕事の方の試用期間のレビューがあります(何と半年も試用期間なんです!その一環でスーパーバイザーがセッションを見学していたのです)。絶対通ると思いますが、また歯を食いしばる事態が起こりませんように。。。

 

と、日本の年度末と関係ないオーストラリアでも新生活が始まりそうっていう話でした。

また学生になりまして

いやー先日、私の仕事であるインテイクセッションを見たスーパーバイザーに「少しインテイクやカウンセリングの説明をする時に単語を変えた方がいいかな、、、という点があった。でもあなたの英語は第二言語だから」と言われて

 

それは言わないで!!!!!!!!!!!

 

とフリークアウトし、その後、電話で「あなた英語できないから他の人に替わって」と言われて号泣する夢を見、そのストレスからか歯ぎしりで奥歯が欠けました。笑

 

うーん。いや第二言語なんですけど、それは私がbloody knowなんですけど、私は2026年の目標の1つに「自分の英語をディスらない」というものを立てて、「ははは I ran out of English」とか「My intelligence in English is 80% of that in Japanese」とかのジョークを言うのを辞めたんですよ。自分から英語力の低さをジョークにすると、他の人にも自然に「あなたのアセスメントはすごく上手に書けている。英語が第二言語なのに」とか(2文目要らんやん?すごく上手に書けている、でいいやん?)、「玉子が先かニワトリが先か…ってこれ英語の言い回しなんだけど」とか(いやご説明不要ですし日本語でも同じ言い回しありますし)、チクチクっと傷つくことを言われる機会も増えるなと思って。

 

だから私の英語はエクセレント、という態度で仕事に臨むことにしたんですよ。

 

でも他人から言われちゃったらそれはもう私がどれだけ頑張ってもNOT ENOUGHと言われているような気がする!!!!!泣

 

まぁスーパーバイザーは私に言い訳をオファーしてくれた(私の能力が低いのではなく英語のコマンドが低めだからそういう単語を使っていたということにしようとした)ので、私がフリークアウトすることは想定外だったでしょう。私もその後週末ずっと考えてリフレクトして、あぁ恥ずかしい反応をしてしまった、いただいたアドバイスはとても真っ当なもので、また改善の機会をもらえて嬉しい!だからスーパーバイザーにはフリークアウトの背景を説明して謝ろう!と思ったのです。

 

…という話を、毎週一緒にToowoomba出張しているベテランチームメイトに言ったら「謝るな!!!謝ったらあなたが悪いことになる。スーパーバイザーはあなたの反応で教訓を得たのだし、多文化な職場で働くということは英語を第一言語として話す私たちがそうでない同僚にうっかり不要な発言をしてしまうというリスクと配慮を常に意識しなければならないという気付きにつながる」と助言されました。まぁスーパーバイザーには(フリークアウトの仕方が少し失礼に映ったかもしれないことを)謝ったけど。

 

こういう時に、「同じく日本の英語教育を受けて育ったけど英語圏でソーシャルワーカー/カウンセラーとして働いている人とピアスーパービジョンしたいな」と思うんですよね。職場にはたくさん英語を第二・第三・第X言語として話す人がいるけど、それぞれ早くにオーストラリアに移住してきたり、学校の教育言語は英語だったりするので、私の苦労はわからない。その人たちの第一言語と英語の距離感は、日本語と英語の距離感とは違うし。私は職場で一番英語が苦手かもしれない、とすら思えてきた…!でも私と同じく日本育ちの人でも、英語のレベルや滞在歴は人によって違うから、結局ピアスーパービジョンをしたところで何を得られるのかはわからないですよね。誰一人同じ道を通ってきたわけではないので。

 

とまぁそういうわけで欠けた歯を診てもらいに、人生初のオーストラリアの歯医者さんに!プライベート保険には加入していないので全部実費です。ブリスベンのCBD Dental Clinicのホリー先生、日本語が話せます。もう1人日本語ネイティブらしい方もおられたのですが、その方のポジションは不明。ホリー先生は特に治療の押し売りもせず、「日本で治療した方が安いから今日は邪魔な親知らずだけ抜きましょうか。トムがやってくれますよ、あ、トムは今ジムに行ってるから、戻ってきたら抜きましょう」と、何が何だかなうちにトムに抜歯してもらう流れに!!(トム先生は抜歯専門の歯科医だった模様。ランチブレイクにジムに行くだけあってムキムキでした)

 

抜歯やレントゲンなどで数100ドル支払い、まぁ給料日がもうすぐだから大丈夫だろうと思っていたら、、、次の日、4ドルのコーヒーを買おうとしたら残高不足で買えませんでした!!そう、抜歯の前日までシドニーに短期旅行に行っており、その時の交通費が後でまとめて精算される形だったので、、、予想外の支出が。クイーンズランド南東部は1乗り50セントなのでそのノリで交通機関を使っていたら、意外と高かったのです。コーヒーは滅多に話さないのにたまたま一緒にカフェに行った同僚がゴチってくれました。

 

そして本題ですが、Diploma of Counsellingを受講し始めました。また学生かよ!

 

このコースはすべてオンラインでたまにセンターに行って実践の試験のようなものを受けるだけということもあり、かなり安いのです。しかも結構頻繁にディスカウントセールしてる。笑 なのに一応Australian Counselling Associationの認証を受けたコースです(調べてみると認証にも色んなレベルがあって、認証受けたから何だというわけではなさそうですが。私はやはりソーシャルワーカーとしてメンタルヘルス実践の認証を受ける方が近道そう)。そして最長5年かけて学ぶセルフペースのものなので、負担も少な目!ただ学生証とかないので交通費とか博物館とかの学割がきかないのかなと思っています(まぁいいけど)。

 

今はまだ始めて1か月経ったところで、1つ目の科目に取り掛かっているのですが、すごく日々の仕事と関係した内容で面白いです。やっぱりカウンセリングスキルがあってこそインテイクも上手くできるんだろうな、と。結構職場内でも声大きく「いつかカウンセリングもしてみたい」と言っていますが、今のところ全然できる気がしないので、少しでもディプロマで実践力を養いたいなと思います。

 

しかしつい先日、メンタルヘルスサービスならではの難しい局面を経験し、「うわ…私これからもこのリスクを抱えてやっていくのか…」と自信を失くしたというか、クライエントはもっとスキルがあり思いやりと余裕のある人に支えてもらえるべきなのに、と申し訳なく思うことがありました。職場のたくさんの人に支えてもらって今は元気です。

 

シドニー旅行についても書きたいけどモノグサ+ウォーキング習慣の導入+ディプロマで忙しい!今パートナーがこっちにいるので、いなくなったらブログの更新頻度増えそう。笑