unlearner’s blog

30代半ばの留学したい話

1年次1学期終わりました所感

学期最後の課題ラッシュを終えていつの間にか1学期が終わっていました。所感。

 

■意外といけるかも?

私の周りには大卒直後にイギリスで国際開発を勉強した人・日本で社会人大学院に行った人、最近だと超頭のいい大学時代の友人がアイビーリーグMBAを勉強した人などがいて、皆「あんなに勉強することはもう一生ない」と言っていたのでビビッていたのですが、意外と大丈夫でした。

 

もちろん大卒直後ではなく英語を使った仕事を数年間やった後ですし、何より修論がないので淡々と授業を受ければまぁ大丈夫そうだな~と余裕ぶっこいています。授業についていけないぃぃいい泣って経験もないし、でもまぁアホなのでついていけていないのに気付いていない可能性は結構あります。

 

あと、家族は皆日本にいて、自分以外の面倒を見なくていいというのが大きいです。予習復習!仕事!(日本の仕事をパートで続けさせてもらっています)寝る!予習復習!仕事!って感じの毎日なので、読むのが遅いけどリーディングにめっちゃ時間を費やせます。夫が一時期訪問してくれていたのですが邪魔で泣いた。笑

 

あとおばさんだから?友達ができなくてソーシャルライフがなくて辛い、というのもなく、別に遠くにいる友達といつでも電話できるし~という感じ。アマプラとかネトフリとか見なくても生きていけるし。その分結構ツイッター廃人気味ではあります。。

 

■英語とコミュニケーション

私はIELTS7.5(R8.0; L8.0; W7.0; S7.0、でも5年前に初めて無勉で受けたらOA8.0やったの、勉強して受けたら下がったの!←見苦しいけど言っておきたい)なのですが、

 

・授業の予習でたくさんリーディングが出るので、それに追いつくにはR8.0あっても足りないわ、という感じ。答えがないというか、その論文・章のどこがハイライトなの?がわからないとダラダラ読んでしまうし、時間をかけて読み終わっても記憶の保持能力が低いので授業のディスカッションまでには忘れているobasan。興味を持って読むと面白くてしょうがないらしいよ、教員によると。

・Listening満点取ったことあるけど(←見苦しいその2)、授業のディスカッションや日常会話でベラベラ話されるとよくわからない、わかった気がしていても実はわかっていなくてとんちんかんなことを言うこともある。まぁ私日本語でもそれあるんですけど。

・採点基準の中に「正しい文法」がある時もあるけど、課題のエッセイを書く分には、W7.0でも劇的に点数を減らされることはない(提出前に大学が契約してくれている添削サービスに出して、めっちゃ指摘来ます。「途中で主語と述語の不一致が起きてるよ」とか「Remember to use 'the' before definite nouns.」とか。Rememberしてるけどいつdefiniteなのかわからないのだよ)。文章の基本構成については大学が提供してくれる情報に沿えば問題なし。

・体調や緊張によって舌がもつれることもあるけど、だいぶ心理的な壁は取り除かれたと思います。S7.0でも、ソーシャルワーク大学院だと周りの学生も教員も優しいので特に辛い思いはしたことがない。でも喋るの面倒で口数が少なくなってしまい、誤解のもとにならないといいけど、と最近気を付け始めました。

 

しかし私は元々日本語でもコミュニケーションが苦手で、気を抜くと人を怒らせたり「怒ってるの?」と言われたり話し続ける元気がなかったりと、英語関係なく上手くいかないことも多々あります。明るくて人懐っこくて喋り好きな人が羨ましい。

 

あとは英語が下手なせいで見下されることはまぁ、意識すると多々あります。一番よく話す子でも、印刷した資料のページがバラバラになったので整理していると(私が何ページを見るべきかわかっていないと思って)「今5ページのこと話してるよ」と教えてくれたり、自分のソーシャルワーク実践のフレームワークというものを発表する時に私が自分の怒りに触れたのに対し、「さく…、怒りが動機なのはわかるわ。私も昔そうだったもの。でもそれって心を蝕むから、怒りに固執していてはだめよ」とアドバイスしてきたり(私の方が10年長く生きてるんですけどね笑)、「(日本の)在外投票したいから今度ブリスベンに行くねん」と言ったら「おぉおおお~さく、あなたは投票権ないわよ」と悲しそうな顔をしたり(オーストラリアの投票がしたいと思ったらしい。確かにタイミングは同じでした)。

 

でも同じような年の同じ国出身でもそういう発言が全然ない子もいて、その子はいつも私の下手な英語でもすぐに意味を汲んで「こういうことね」と絶妙に正しい言い回しを教えてくれるし、全然上から目線の話がないです。この子に学ぶところは多い(私の方が10年長く~以下略なんですけどね)。というのも、私も日本語が流暢でない人と話す時に何となくタメ語になったり、ナメた言い方になったりしているような気もするのです。最低ですね。でもせっかく今学べたので今後本当に気を付けます。

 

■生き方の変容

オーストラリアのソーシャルワークは正義、尊重、専門職としての誠実さを三大原則にしています。そしてソーシャルワークそのものが、自省をものすごく重視します。

 

いつも自分のことを考えているので自省は得意で、自省関連の課題(reflective journal)は2つのうち2つとも90%を超える高得点をもらいました(安心して下さい、ケーススタディで60%という絶望の点数が出ました。今後reflective journalは課題に出ないはずなので、絶望が続くと思われます)!ソーシャルワークを目指す人は普段から自分が何に怒って何に喜んで、何が自分を突き動かすのか、これまでの人生の軸は何か、を振り返っておくことをお勧めします。

 

ソーシャルワークを学べば学ぶほど社会の不条理に怒り、疲れます。不正義を学ぶことで、世の中のあれもあかん、これもあかん、と沸点が低くなった感じ。それで夫とぶつかることもありますが、今までどれだけ自分の特権に乗っかって他の人のことを考えてこなかったのか思い知らされました。今もふと発言する内容が差別的な時が多々あり、ほんま人生修行やな、、、と思い知らされるばかりです。

 

特に白人(という言い方も何か嫌ですが、、、ヨーロピアン由来の人たち)の学生はwhite privilege、white supremacy、whitenessというセオリーを突き付けられて顔面蒼白。イギリス人は「私たちの祖先が侵略者ということ!?こんなのイギリスで学んでない!」(←日本もびっくりの歴史修正主義なんですかね)、ヨーロッパ系のオーストラリア人も「ものすごく居心地が悪い思いだけど、受け止めないといけないね。私たちの先祖はだいたい殺戮者」と落ち込んでいました。

 

私はアジア人なので「What does it feel to be white?」といつも心の中で彼らに問うのですが、逆に「What does it feel to be yellow?」って聞かれたらめっちゃ嫌!笑 イエローって言うな!って感じなので、whiteという単語の代わりをコーカサス系?とか色々探っていますが、とにかく相手の立場に立たないといけないですよね。例えば私がフィリピンに行って「日本人の侵略があって私たちはめちゃくちゃだ。人を無惨に殺し辱めやがってこのど変態殺戮者」と目の前で授業されたらそれはもういたたまれない。そのいたたまれなさを自分事にした結果、今ソーシャルワークを学んでいるのですが。

 

オーストラリアの歴史で言うとアボリジナルな人々の6万年以上の歴史と、たかだか230年くらいのイギリス系の人々の襲来その後の侵略の歴史、そしてそのたったの230年で白人が自分たち中心の社会を築き上げ、他の人種への抑圧構造を生み出し、今なお「あの人種は~だ」というステレオタイプを再生産し差別しているということに驚きなのですが、white supremacyってヨーロッパ系の人だけの話じゃないんですよね、仕組みだからどの人種でも参加してしまえちゃうのです。だってソーシャルワークが生まれたのが欧米だから、その前提が欧米なのです。ソーシャルワークの脱ヨーロッパ中心主義を目指さないといけないのです。私はソーシャルワークが全然ない国(日本)から来たからオーストラリアのソーシャルワークが絶対なのかなと思いがちだけど、全然そうじゃない。

 

だからwhitenessを私は享受していないけどそこに参加し得るという気持ちは持ち続けて学ぶ必要があります。そして、私が日本に戻ったら完全に中流階級の、教育を受けて自由に仕事や学問を選べる特権を持ったシスの人間であるということが他の人にどんな影響を及ぼすのかを本当によく考えるレンズを、ソーシャルワークにもらいました。

 

そして今猛烈に怒っているのは、一部の在豪日本人によるアボリジナルな方々への差別発言…私たちがこの大陸にいるというのは彼らから土地、水、風を奪っているということ。存在させてもらえるだけでもありがたいのに、さらに彼らを抑圧・搾取・差別してきた社会に加担するな!!!「そんなこと学んでないからしょーがないじゃないか」じゃないやろ!!いや、そうやねんけど!私も昔ステレオタイプに染まって変な考えを持っていたし、ソーシャルワークを学ばないとこの視点は持てなかったけど!ソーシャルワークを学んでいない人でもそんな差別がおかしいということに気付けるように、主流の人たちが何とかすべきでしょう!!と、主流じゃないけど誰かこれからオーストラリアに来ようとしている人の目に入ればいいな。

 

知らない言語を「うるさい」と感じるのは当然です。それは特定の人たちがうるさいのではなく、あなたが彼らの言語を知らないだけです。あなたはオーストラリアに来て外国での未知の体験を通じ、これまでの自分の常識を疑う視座を持てるようになると思いますが、その視座も結局ヨーロッパ中心のものじゃない?その何万年も前からこの大陸を尊重して守ってきた人たちを蔑む視座って、おかしいんじゃないの?とまで疑える視座を持ってもらえたら、同じ日本人として私も嬉しいな。

大学院が始まって2か月 ソーシャルワークと私のシンセシス

ぼーっと生きていたらオーストラリアに来て2か月が経っていました。1学期は13週あるので、半分が過ぎたところです。

 

疲れた話

 

4月半ばはイースターでお休みでしたが、その前の週にちょうど疲れがやってきて「もうやだ!!」状態になっておりました。

 

まず会話していて無視される。これは分析するに、ネイティブによる「この人話してるな、でも無視しよう」と意図しての無視ではなく、私の英語が英語として認識されていない。まぁ日本語訛りの発音だしあんまりはっきり喋るタイプではないので話していることに気付かれないのでしょう。

 

時々意図して無視されることもあります。英語が下手だから「こいつの話の内容は大したことない」と判断されるというか、頭の回転がいつも以上に遅く話すのもしどろもどろの時は、喋っている途中で相手がlose interest in my talkしていくのが目に見えてわかります。

 

これは練習あるのみで誰も悪くないことなのですが、重なって「もうやだ」になってしまいました。

 

次に、留学生をサポートする担当の人とそりが合わない。ここで紹介した、ソーシャルワーク学科の留学生サポート担当教員の人と合わないのです。彼女は他の教員に「本当に素晴らしい人だ」とべた褒めされているので、私も好きにならないといけないかな~とちょっと同調圧力を感じてしまっていましたが、まぁ合わない人と距離を置くのは精神安定の鉄則。せっかくのリソースですが彼女なしでやっていくことにしました。

 

別に彼女が悪い人とかではないので、サンシャインコースト大学でソーシャルワークを学びたい人は是非彼女と会えるのを楽しみにして下さい。

 

まぁそういう小さなことに不満を抱えるのも疲れている証拠、ということで、イースター前の1週間は授業・バイトの合間のリーディングをお休みし、ひたすら日本語で漫画を読んでダラダラしました。結構回復しましたよ。

 

今週はとある授業で自分の興味あるトピックを選んでグループになる、というアクティビティがあったのですが、私と同じトピックを選んでいたクラスメイトが途中で別のグループに移動しました。去る時に冗談で「私じゃなくて、あなたが理由で移動するのよ!(It's not me, it's you:恋人と別れる理由で多い『あなたに原因があるんじゃなくて、私が悪いの It's not you, it's me』の逆)」とジョークで言われてしまい、それってよく考えたら英語が下手で意見も大したことない私とは別のグループに行った方が充実する、と判断したってことかな?と悶々考えてしまいつつ、元気になったのでまぁそれでもいっか。とのんびり暮しております。

 

ソーシャルワークを学ぶのが楽しい話

 

まぁ楽しくなかったことがないくらいなんですが。ソーシャルワークという学問を見つけて、しかも日本の福祉に絶望するのではなくオーストラリアで学ぶことにした過去の自分を褒めてあげたいものです。

 

他の学生が「チュートリアル(対面授業)行きたくない」「モチベーションが湧かない」「課題きつい」「しんどい」ととにかく苦しんでいるので、何で皆そんなにしんどいのー?と思った結果、やっぱりソーシャルワークを学ぶ覚悟の違いかなという結論に至りました。

 

こちとら夫を置いて全然言語の違う国から、しかも30代半ばになって来とんじゃい。何の勉強をしても自分の母語で学べたり、これからいくらでも進路の変更ができたり、といったネイティブの若者とはちょっと覚悟が違うのかも、と。しかもソーシャルワークはオーストラリアの永住権につながる職業だから、という理由で選んでいる留学生はもっとしんどそうです。

 

ソーシャルワークは内省(self reflection)を非常に重視する分野です。特に1年目でまだ入門編の学びである今の段階では、私、この内省はめっちゃ得意。自分のことばかり考えていて、何で私ってそういう風に考えるんだろう?といつも悶々している私にとって「self reflective journalを書け」といった課題はお茶の子さいさいなのです(まだ採点されて返ってきたことがないから上手く出来ているかは不明。笑)!

 

学ぶ内容全てが自分の実感とつながって入ってくるから、課題図書も時間が掛かるけどちゃんと読みたいし、チュートリアルには全部参加して他の人と意見交換したい。そこで、私生活が忙しく準備をできずチュートリアルに来る他の学生に巻き込まれるのが嫌なのです。もっと余裕持たないとなー。

 

課題の1つで「自分の実践のフレームワークをつくる」というものがありました。ソーシャルワーカーになるにあたって、どういう価値を中心に置いてどういうセオリーを選ぶのか、また、その根拠や原因となった体験はどのようなものか、と振り返るものです。

 

これを考えていた時に「自分の特権へのレジスタンス」が思いつきました(というか自分の中のモヤモヤをダラダラ説明していたら、教員が上手くまとめてくれた)。自分は日本で最もメインストリームな、先祖何世代も自分を日本人と思ってきた家系の両親のもとに生まれ、中流階級で教育を受けさせてもらい、言語や民族を理由に差別されたり、性を理由に不当な仕打ち・被害を受けたりしたこともほとんどない(小学校の時の担任に、「女は絶対生涯で1回は痴漢に遭う」と注意喚起を受けていたのですが、それもなかった)。むしろギリギリ生活でもオーストラリアに来て高い学費を払って勉強できていて、それこそが特権。だからって、自分さえよければいいという風にはならないです。逆に居心地が悪い。だってその状況に疑問を持たなければ、supremacy(一方を優先することで他方の抑圧につながること。白人至上主義を指してwhite supremacyという文脈で使われる)に参加していることになるでしょう。

 

自分が特権を持っているのであれば、それを特権を持たない人のために使いたい。それがレジスタンスであり、私にとっての「社会正義」の定義なのです。

 

という問題意識でソーシャルワークの勉強をやっております。今は学習で吸収することが多くてエキサイトしているけど、そのうち実習が始まったらしんどいことが多くて「何も知らない特権ある立場に戻りてぇ~~日本でマジョリティとして生きてぇ~~」とか思うんですかね。でも戻ろうとしたら戻れるという選択肢を持っている時点で居心地が悪い。

 

円安で学費が払えなくなったら日本に帰るかもしれませんが、、、今のところはこんな感じで自分とソーシャルワークの関係を見ております。

大学院1学期の授業について

2月からUniversity of the Sunshine Coastにてソーシャルワーク大学院留学が始まりました。入国前後のドタバタを記事にしようと思っていたのですが入国規制の緩和があり、私の情報はあまり新しいものではないのでお蔵入り。

 

ロシアのウクライナ侵攻や、私が住むクイーンズランド州(と今はニューサウスウェールズ州の方がひどいのかな?)の大水害で、私は何をブログに残せばいいのか、、、戦争反対なんて当たり前で、戦争を始める人の気持ちなんてわからないし、わからなくていいのだけど、価値観を共有していない同士で「戦争やめろ」と「戦争やらせろ」って主張ってどう意味をなすのか。でもロシアでデモをしている人が続々逮捕されているのを見て、デモの意味が見出せましたね。世界のリーダーが世論を怖がるのであれば、声を上げ続けよう。

 

そして私はソーシャルワークを学ぶ人間として、人権と社会正義を追求する立場にあります。大学院について発信することで、ともに人権と社会正義を追いかけ実現できる仲間が増えるように、との思いを込めて綴ります。

 

さて、大学院に入学して授業は2週目に入りました。学科の留学生の状況と、各授業について書きます。

 

大学院のために入国してきた(applied offshore)留学生は私だけっぽいです。コロナで来れるか来られないかわからないタイミングでの出願→合格→ビザ取得→入国でしたもんね。もう1人くらい日本人いるかな~大好きなフィリピンの人もいるかな~と思っていましたが撃沈。

 

「留学生」は噂では10名近くいるようですが、その半分くらいしかまだ出会えていません(オリエンに来ていたのが半分くらい、そして1週目の授業は水害でオンラインになっていたので…)。しかし出会ったことのある留学生のうち、英語が公用語の国から来た人、私以外全員!そしてそれぞれオーストラリアで学士を取ったり、数年前からオーストラリアにいたり、と、「典型的」留学生は私だけです。

 

私、アジア人以外と英語を話すの、めっちゃ苦手だとわかりました…これは英語力というよりも精神的な壁ですね。オンライン授業でもクラスメートと直接会ってもしどろもどろ。なのに家に帰ってハウスメイト(全員アジア)と話す時は超流暢(当社比)。

 

授業に貢献するためにはこの精神的壁を打破するしかない、そして打破するためにはクラスメイトと喋って慣れるしかない!!クラスメイトにはイラつかれるかもしれないが笑、しょうがない~皆ソーシャルワーク専攻なだけあって、温かい目で見守ってくれるので、練習に付き合ってもらおうと思います。

 

留学生におススメの点

USCは大学ランキングが低いのであまり惹かれなかったのですが、学費の安さと、合格後の教員との面談が魅力でした。3校の選択肢があったので、エージェントさんに「大学の人と話してみますか」と提案してもらい、オンラインで面談をさせて頂きました。他の大学は営業担当者が対応してくれたのですが、たまたまUSCは「教員と話してみますか」と大学側が取り計らって下さいました。

 

その教員がカリキュラムを整理して説明してくれたのと、「学科の留学生の比率を30%までに抑えるようにしている。一時期は制限なく受け入れていたのだけど、いい成績が取れなかったり退学してしまったりする学生が多かったので、その背景をソーシャルワーク観点から調査してみた。そして対策としてピアサポートを導入して、留学生のサポート専門の職員を配置するようにしたら、誰も単位を落とさなくなった!」と教えてくれ、「え!めっちゃいいやん!」と思ったのです。

 

というわけでそのサポート専門職員は色んな留学生のサポートをしてきたので各教科についても精通しているし、アカデミックからプライベート(ウェルビーイング)まで寄り添ってくれるとのことです。コロナで学生が減っているので「愛が余っています」と言っていたその人に一番お世話になるのは私で間違いなし。

 

  • 授業

1学期は「ソーシャルワーク入門」、「ディレクトラクティス①」、「アボリジナル・トレス海峡諸島民との関わり」、「実践のための社会理論」の4教科です。全て授業内容を事前にオンラインで受けておいて、さらに課題読書を済ませて、週2時間ずつの対面チュートリアルに出席します。

 

ソーシャルワーク入門」は概念的な話から始まっていていきなり意味不明…discourse、purpose、focus、contextなどなど、日本語で「これ!」っていう訳語がない話で、読書も進みません。でも「ディレクトラクティス①」とつながっているような感じもします、今のところ。

 

ディレクトラクティス①」も日本語に訳しにくいのですが、これは2学期にある実習の前にソーシャルワーカーの卵を育てるための演習です。直接的な練習・実践、という位置づけ。ソーシャルワークの中にあるコミュニティディベロップメント(何と訳せばいいんだ~~国際協力界隈では地域開発)関連のアプローチを学ぶようです。私も大学やNGOでインターナショナルディベロップメントを学び・実践してきましたが、理論とかは全然頭に入っていなかったので、教科書を読んでいても「そりゃそうだ」とうなずく一方で、「あぁ~言葉にすると・枠組としてはこうなのね」と学ぶことが多いです。今後はソーシャルワーク実践としての面談などの演習もあるようなので、はよ英語の精神的壁をぶっ壊しておかなければ・・・。

 

「アボリジナル・トレス海峡諸島民との関わり」はオーストラリアの先住民ルーツを持つ方々に関するもの。オーストラリア・ソーシャルワーカー協会(AASW)は、過去にソーシャルワーカー達が先住民の子どもを誘拐して白人家庭や施設に収容し、彼らの文化や世代を超えた知恵といったものを奪ったことを正式に謝罪しています。そしてソーシャルワーカー育成において、学生に奪われた文化や知恵を学ばせるということを決意表明し、大学や大学院に課しています。

でも私が受けた他の大学には「教科」としてアボリジナル・トレス海峡諸島民を取り上げていないところもありました。そこが気に入らなくて(あと学費が高くて)、その大学院には行かないことにしました。

イギリス人がオーストラリアを植民地化した影響って、今も残っているのですね。トラウマは世代を超えて残ると。オーストラリアで育っていない私にとっては、「6万5千年前から住んでいるというすごい人たちなのに、数字で目に見えてこんなに不利な立場にあるって、どういうこと!?」と理解が全く追い付かないのですが。授業の最初の方は先住民の方々の考え方を身に着け、それを尊重したソーシャルワーク実践に備えるような内容です。

ちなみに「先住民」という言葉って大丈夫なのでしょうか。先に住んでいた人、という意味で使っているつもりでしたが、それも差別表現だというツイートを見たことがあります。「原住民」の方があかんと思っていましたが。

 

「実践のための社会理論」は副題が「力と抑圧、そして『よい社会』とは!」とある通り、社会理論だけをつらつら学ぶのではなく、ソーシャルワーク実践に深く関わる理論を学べます。

大学の時は社会学が意味不明過ぎて大嫌いでしたが、「ソーシャルワークが必要だと考えられるようになった背景にはこういうことがあって、この人はこういう視点で社会を見ていました」と説明してもらえると、わっかりやすーい。今のところワクワク学べています。

 

また数週間後には課題で苦しむと思いますが、開始後1.5週間の所感はこんな感じです。

渡航準備しております

ぼーっとしている間に今月オーストラリアに向けて出発することとなりました。

 

私の渡航先であるクイーンズランド州は国外からの入国者に対し、(日本とほか数国からの渡航のみ許可しているけど、さらに)2週間の強制隔離を課していました。ワクチン2回目接種者の、対象者全体に対する割合が90%を超えるまで。

 

それがなかなか90%に達成しないものでやきもきしていました。2週間の隔離で合計約25万円が飛んでいくのですから!

 

それが、1週間くらい前?にまだ90%に達していないけど隔離なしでOKやでー!、となって、あれよあれよと沸き立つTwitterクイーンズランド州留学予定者たち(なお、私はTwitterでは誰とも交流していないので見ていただけ)。ちなみに今日まだ90%達成していません!笑

 

私も家族の状況などを見て、2月半ばに渡航することを決めました。準備したこと:

  • メルボルン行きの航空便予約(ブリスベンへの日本からの直行便はありません。直行便でないと入国ができない可能性があるそうです)
  • メルボルンでの滞在先など、友人とアポ取り(昔メルボルンに住んでいたので、ついでに古い知人とキャッチアップしようかと)
  • メルボルンからブリスベンへの航空便予約(ブリスベンでも友人が泊めてくれるそうです。ありがたい!)
  • 抗原検査キットの入手(これは日本でも検査キットが不足するほんの少し前に。オーストラリアでは一足先に検査キットが不足しているとの情報を得、オーストラリアで承認されているキットを多めに購入できました)
  • 国際運転免許の取得(4×5センチの顔写真はアプリでコンビニ印刷)
  • 転出届とついでに納税について市役所の社労士さんに相談(よく海外行っていて、いつ納めたのかよくわかっていなかった…)
  • 成田空港への移動手段、宿泊、PCR検査の手配
  • オーストラリアへ入国する・クイーンズランドへ入州するのに色んな登録が必要なので、事前に現地SIMを購入して現地でつながる番号を用意(Amazonより楽天の方がOptusの種類が多い気がする)
  • 日本の携帯電話は解約せず最安値のプランに変更して夫へ預ける

など!

 

あとは荷造り、食材などの在庫処分、現地で住所が決まってから送ってもらう荷物の整理。日本から持って行った方がいいものについて、

www.orimemo.com

こちらを参考にさせて頂きました。

 

これまで1年程度の海外移転は4回ほど経験したのですが、毎回テキトーだったので、今回は時間をかけて丁寧にできるよう情報収集をしています。というか、これまでの移転のタイミングではネットに豊富に情報があったわけではないので、手探りだったというか。

 

コロナで友達にさようならを言う機会も限られていますが、応援してくれる周りに感謝しつつ、前向きに頑張りまーす。

大学院決めました

大学院からは合格をいただいていましたが資金調達が先日まで続いておりました。結果は残念で、少ない貯金を使って留学に行きます。


奨学金応募のプロセスで思ったことがあるのでその件は後日。また自分語りですが。


行き先はオーストラリアのサンシャインコースト大学です。ソーシャルワークの大学院課程で一番バランスがいいのがオーストラリアだな、と思い、他にモナッシュ大学とクイーンズランド工科大学にも出願していましたが、一番安いサンシャインコースト大に決めました。


まぁ国境が開くのか?開かないのか?という微妙なところなのでシラッと様子を見ながら必要な準備を進めたいと思います。

推しビト - Kon Karapanagiotidisはん

先日、オーストラリア関連の、私が推すコンテンツをご紹介しました。

 

今日はオーストラリアのご存命の人物、Kon Karapanagiotidis(コン・カラパナヒオティディス)氏をご紹介します!

 

Konさんはオーストラリア・メルボルンでAsylum Seeker Resource Centre(ASRC、直訳すると「庇護希望者のための資源センター」)を立ち上げ、CEOとして最前線に立っている経営者・実践者です。ソーシャルワーカーであり人権弁護士でもあります。

 

彼のことはInstagramで知りました。検索画面でランダムに表示された動画か写真を見てクリックしてみたのが彼の投稿だったのだと思います。

 

よく見てみるとメルボルンの方で、「ギリシャからの移民だった両親は貧しいながらも自分を人権弁護士に育て上げてくれた」というような内容を話していたように思います。

当時、ソーシャルワーカーになるために留学するという決意を固めつつあった段階なので、人権弁護士という仕事をされている彼の投稿は参考になると思いフォローすることになりました。

 

Asylum Seekersというのは難民となることを望んでいる人々のことで、難民認定されるとRefugeesになります。認定された人だけがRefugeeと呼ばれますが、実際は認定されていなくても保護されるべき人々が多くいるため、そういう状況にある人々も支援するためのサポートをしているのがKonさんが立ち上げたASRCです。

 

彼の語り口はとても柔らかく心地がいいです。英語学習をされたい方は是非!語っている内容は難民や庇護希望者が直面している困難、人種差別や女性への暴力、アボリジナルな方々への待遇に対する批判、弱い立場の人々に寄り添わない政府・政策への批判、ASRCへの寄付の呼びかけや活動紹介、そして美味しそうなギリシャ料理の紹介、などなど。

 

熱い彼の語りを日々Instagramで聞いているうちに、「この人の背景を知りたいぞ・・・」と好奇心を掻き立てられ、まずYouTubeを検索。

人生に影響を受けた本として、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏の著書を紹介している動画を見つけました。

 

ここでKon氏が言っている「僕はティーンの時から毛むくじゃらで、当時の僕が街中を歩いているのをナショジオが見つけたら『ついにイエティを見つけたぞ!』と大興奮したことだろう」というギャグに私はハートを射抜かれました・・・。

 

何だこの人、頭がよくて人を支援する優しさを持ちながら自分の毛深さをネタにするとは、かなりのやり手だ!!

 

と、推しを見つけた瞬間でした。

 

そしてもっと興味が出たので、彼の著書『The Power of Hope』を購入し、読み進めました。

 

もう、これが!推し推し!!

Kon氏は移民の子として、周りのアングロサクソン系のオーストラリア人とは異なる存在であることを常に意識しながら学校で馴染めず、親、さらには親の先祖のトラウマにも影響を受け、愛されることが叶わないことを呪い、鏡を見て「コン、お前は本当に無価値のくそ野郎だ」、「誰にも愛されない醜い生き物め、と絶望する」と自分に語り掛けるという辛い辛い日々を送っていたと綴ります。

 

え!私も一緒!!!(←自分の話やたらする奴)

 

何度か書いていますが私の特徴は思考が非常に暗いことで、私も鏡を見て「こんなブス、誰も愛してくれない~!」と泣いたことがあります(最近はブスである自分を受け入れてますし、フィリピンのお陰でまぁブスでもないかもしれない?と思えるようになっています)。

 

Kon氏は毛深くシャイで女の子に振り向いてもらえないというのをすごく本の中で詳細に強調していて、「こんなに素晴らしい活動をしている人でも恋愛が上手くいかないと悩むもんなんやな~」と同じく非モテな(一方で素晴らしい活動をしていない)私の心を溶かします。

 

そんなKon氏は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏の著書『Strength to Love』(まさに、愛する強さ)を読んで、世界を憎む代わりに愛を与えよう、と思考を変えていくのです。

(I)f the world doesn’t want to love me, then maybe I can still give love back to it. My thinking was that this would then mean love would meet me halfway.
(もし世界が僕のことを愛してくれないのなら、代わりに僕が世界のことを愛してみよう。そうすることで、愛も僕に歩み寄ってくれるんじゃないかな、と考えた)
(W)e can’t build a better world unless we’re also building ourselves up, loving ourselves, cutting ourselves some slack.
(自分たちのことをまず作り上げ、愛し、赦すということをしないと、世界をいい場所に作り上げることはできない)

Source: Kon Karapanagiotidis. (2018). The Power of Hope.

 

本当に、これに尽きますね。私はこの度の選挙結果を受けて市民社会に対して混乱するばかりで、荒れまくっていました(≒夫に当たりまくっていた)が。逆境に置かれる時にこそ、愛を与えるということですね。すごく難しいけど、キング牧師とKon氏がやっているなら、私もやりたい。

 

そしてKon氏にとって、難しい立場にある人たちとの関わりこそが自分の居場所になった、という経験は私にとっても同じです。私はずっと自分のことをいじめ続けてきましたが、国際協力という今の仕事に携わるようになって初めて自分を赦すことができました。そして、これからも自分を赦すためには、ソーシャルワークが必要なのだと思っています。そしてソーシャルワーカーになれた暁には、ボランティアでも、彼と働くというのが私の現在の夢です。

 

余談ですが彼の苗字が長くて、これ言えないと私ファン失格やな、、、と思っていましたが、ついにソラで言えるようになりました。苗字に関してはKon氏本人も「スミスとかいう苗字が多い中で、長い名前を馬鹿にして『ミスター・アルファベット』と呼ぶ同級生もいた」と著書の中で書いていました。これを見て、他人の苗字を言えないなんて文化的な侮辱だな、と反省したのでした。

 

というわけで、日本の人にもKon氏のことを知ってもらいたいと思い、記事にしてみました。全ての情報は英語ですが、ASRCは政府の助成を受けずに寄付で成り立っているそうなので、是非ウェブサイトを見て、寄付もしてみて下さい!

 

(ちなみにメルボルンに住む知人が「Kon、いい仕事してるよね~」と連絡をくれました。大学で彼のスピーチを聞いたそうです。いいなぁ~)

 

最後に、難民や庇護希望者の支援について。

 

オーストラリアはかつて移民を多く受け入れていたことがあり、日本に比べればマルチカルチャー社会だと言われていますが、移民にとってウハウハな受入態勢が整っているとは言いにくいです。最近は移民への嫌悪感を市民・政府ともに抱いているようなヘイト事件や政策が散見されます。

 

特に難民・庇護希望者については、「国にとって有益かどうか」という視点で移民政策を定める風潮の中、厳しい状況が続いており、ASRCもキャンペーンと政策への働きかけを展開しています。国に帰ったら命の危険があるような人々を収容して強制送還しようとしたり、アフガニスタンからの入国希望者の人数制限が厳しかったり。

 

それは日本でも同じ、というか日本は世界の中でも最悪な移民受入国だなと思うのです。「有益かどうか」基準で判断し、外国からわざわざ日本に来てもらっておきながら、入国すれば「犯罪者予備軍」として見なすような待遇。少しでも怪しいと思ったら必要がなくても長期収容です。

 

難民・庇護希望者に至ってはまず受け入れない。だから社会に彼らがまず入ってくるようになって初めて、ASRCのような支援が意味のあるものになるのだと思います。というわけで、難民支援協会(JAR)さん開催の難民アシスタント養成講座を先週土曜日と明日の2日間、受講しています。

 

日本ではどういう感じなのかをまず学んで、JARさんのキャンペーンになるべく参画して、難民の方々も、入国管理に関して何らかの課題を抱える人々も、安心して暮らせる社会の実現を目指したいものです。

 

この記事は下記のnoteからの転載です。

note.com

2021年の目標を達成した気がする≒Activism It Is

先日まで「さく:全体的に暗い」という名前で投稿していたのですが、振り返ると「全体的に暗い」は要らない気がしてきたので暫定的に「さく」という名前に変えました。(ぱっと見「くさ(臭)」に見える)

 

そもそもは「全体的に暗い」という名乗っていたヤバい奴なのですが、それには理由がありまして。

 

先日の記事でも申し上げましたが、noteでは自分「だけ」が知っている物事を自分「だけ」の発信で伝える媒体だと思っています。では私だけが発信できるのって何?と考えた時に、「私は私のことしか考えていなくて、私の思考にすごく詳しい。その考えのユニークさを発信すればいいのではないか」と思ったのです。

 

何しろ自分にしか興味がなくて、過去数年、ずーっと「何で私はこう考えるのだろう?あの人のあの発言をどうしてこういう風に受け止めたのだろう?あの出来事は私にこういう影響をもたらして…私って何・・・?」と悶々考える期間があったのです。しかもその内容が結構暗い。ひたすら暗いので、「全体的に暗い」をテーマにnoteを開始したのです。

 

そしてコメント欄でのやり取りで親切な方が「何とお呼びしたらいいんですか?」と聞いて下さり、確かに「全体的に暗いさん」って呼びにくいな、と思い、本名に近い「さく」を加えました。

 

そこで今回の投稿のタイトルですが、今年の目標は「自分以外に興味を持つ」だったのですね。自分にしか詳しくないってキモ。と思い、自分以外のことに詳しくなってみたいという気持ちがありました。同時にソーシャルワークにも興味を持っていたので、今年の学びのテーマはソーシャルワークで決まり。まぁ人に発信できるほどソーシャルワークには詳しくないので、大学院に行けることを願うばかりですが(奨学金の結果はまだ)。

 

で、ソーシャルワークという分野も深く広いため、本を数冊読んだくらいでは全然マスターできないのですが、十分自分以外に興味を持つようになりました。しかし世の中に興味を持つと、苦しいことばかり。「相手を変えようとするのではなく自分がまず変わろう」レベルではなく、「社会を変えないとこの理不尽は永遠にのさばる…!」という危機感と、ソーシャルワークの学びがつながり、メラメラ燃えています。

 

TwitterでもYouTubeでも、Facebookでもあちこちにメラメラ要素は散らばっています。それをソーシャルワーカーの仕事と絡めているのが

 

脱『いい子』のソーシャルワーク 反抑圧的な実践と理論」。

 

Anti-oppressive Practice (of social work、AOP)について取り上げ、下手な概要を言うと「ソーシャルワーカーって行政トップの言うこと聞く『いい子ちゃん』でなくてもいい、逆におかしいことにおかしいと言えるようになろう」と呼びかけている本です。

 

確かに私が最初にソーシャルワークについて学んだ時、ソーシャルワークの「グローバル定義」って、学び始める前に持っていた「いい子ちゃん」系の印象と真反対やな~と思いました。行政の指針、社会に対してものを言っていい、そうやって変化をもたらすのがソーシャルワーカーだ、という考え方はメラメラ燃えている私にとってとても都合のいいもので、詳しく知りたいと思いました。

 

そこでAOPを詳しく取り上げた「Doing Anti-Oppressive Practice -Social Justice Social Work-」も読みました。結構時間が掛かりましたが…主に北米(特にカナダ)の事例が取り上げられていたので、これの各国版があるといいなと思います。「脱『いい子』~」はそういう位置づけの日本版なのかな?(出張中で手元に本がないので確認できないですが…)理論も大切なのはわかりますが私はケーススタディの方が頭に入ってくるので、実践としてAOPがどう展開されるかの事例がたくさん含まれているのは非常にわかりやすかったです。

 

「Doing Anti-Oppressive Practice~」では最後の方にアクティビズムについて書かれています。確かに日々の業務に追われて、抑圧に対して行動を起こすのは難しいだろう、でも結局は個々人がレジスタンス(抵抗)の責任を持つのだ、と。

"Some measure of empowerment allowed us to move from a position of being in struggle to a position of being able to and wanting to contribute and change conditions, not just for ourselves, but for a group, a community or our world." (pp. 356 - 357)
(私の訳)エンパワメントによって私たちは、「苦しむ立場」から「自分たちだけでなく集団やコミュニティ、または世界のために状況を変えることができる立場、また変えたいと思える立場」にシフトすることができた。

参考文献
Benjamin, A. (2017). Doing Anti-Oppressive Social Work The Importance of Resistance, History and Strategy. In Baines, D. Doing Anti-Oppressive Practice Social Justice Social Work. (pp. 351 - 359). 

 

(参考文献の書き方はこれで合っているのか?Educate me...! Let me in a grad school by funding me!!!笑)

 

「まずはできるところから」「変えるのはまず自分」というのは基本だけど(行き過ぎた自己責任論とは別次元)、自分を変えさせられるだけではただの理不尽、ということも往々にしてあります。1人1人が危機感と「抑圧」に立ち向かうという覚悟を以て、仲間を見つけて集団的に社会に呼びかけて変革をもたらそう、という、当たり前のようですごく難しい考え方は、今この時代にすごく必要で、やるべきことなのだと私のハートがファイヤーしています。

 

ちなみに「抑圧」は「生きづらいと思わされる違和感」をも含むそうです。気候危機によってもたらされる苦しみも抑圧、人権侵害という考え方も当然になってきていて、これまで言い出しにくかった心地の悪さ、例えば不動産会社に部屋の内覧で「キッチンをよく使うのは奥様なので」というセリフを言われてはらわた煮える体験(実体験、しかも数回。こういう社員は研修受けるべき)でも、抵抗していいのです。

 

まぁ私がこれを実践につなげられるようになるには時間が掛かりますが、絶対これを生涯のミッションにするぞ。と、元・全体的に暗い私は考えております。

 

それにしても大学院に行くか行かないかで今後のnoteの方向性が変わりそうなので落ち着かないですがしばらくは「さく」と名乗ります。

 

この記事は下記のnoteからの転載です。

note.com

 

名前は姓も入れて「さくしゅ」にしました。

 

あと小ネタですが、「脱『いい子』のソーシャルワーク」では「Doing Anti-Oppressive Social Work~」の筆者ベインズ(Baines)氏の名前をBainsと書いているのに気付いてショックでした。それやったらバインズさんやで…。