編(アム)

30代半ばの留学してる話

トラウマを抱えたキッズと働いて

無事にサポートワーカーの仕事が始まり、数回シフトに入りました。

 

昨日、複雑な環境で育ちトラウマを抱えるであろう兄妹の担当になり、壮絶な数時間を過ごしました。放送禁止用語、人種差別でずーーーっと罵られ、食べかすやら何やら投げつけられ、叩かれ、おもちゃの銃で撃たれ。

 

これが感情のエスカレーションによるものならわかるのですが、本当に私といる間(妹だけといる時は罵られなかったから、兄妹でトリガーし合っている様子)ずっとなので、そういうコミュニケーションを取る子たちなのでしょう。コーカサス系の他のワーカーによると「あの子たちは人種差別者」と言っていたので、相手を選んで言動や行動を決めて、最弱そうなアジア人の私をターゲットにする判断力もあるのかも。ずっとエスカレーションしていた可能性もあるけど…。

 

ソーシャルワークを学べば学ぶほど自分の権利や自分を大切にすることに敏感になってきたので、こういう、パーティシパント(クライエントの別の言い方)からの虐待も「耐えうることではない」と思ってしまいますね。普段の人間関係では「あの人は私を大事にしてくれないから関係を切ろう」と行動に移せるけど、仕事だとそう考えることはプロフェッショナルではないのか。また、家庭にいられない事情を抱えるキッズを預かる準家庭を提供すべき仕事先では、関係を築き「それはだめだよ」と辛抱強く伝えることが任務なのかもしれない、でもこんな扱いを受けて関係確立なんてできるのか?-だから彼らの私への虐待が人種差別なのかどうかは結構重要で、もしそうなのであればコーカサス系の人を配置すればいいのですが。

 

私も随分疲れてしまって、二度と彼らの担当になりたくないと思うものの、「周りを傷つけて自分の欲しいものを手に入れる」という彼らのアプローチを是とするようで、そうさせたくない気持ちもある。いや、そんなことどうでもいいくらいしんどいわ。笑

 

トラウマを抱えていると感情コントロールが難しいということは理解していたものの、感情コントロールの問題ではなく、相手に敬意をもって接するということを誰にも教えてもらえなかったのだろうなという感想です。だから「トラウマを抱えたキッズと働いて」というタイトルはおかしいかもしれないけど、トラウマの原因と、他者との関係づくりというのはバッチバチに関係していて。誰かに大切にされ、その誰かが「それはいけないことだよ」と教えてくれるということが人間としての基本なのだなと思わされました。そこに「差別はいけないよ」などの色んな知恵が重なっていくというのが人間として生きるということなのだと私は思うのですが、それっていわゆる「教養」のような扱いで、その「教養」までたどり着けない子たちがこの世にいるという現実をまざまざと目撃した気分です。そして、正義という最大級の「教養」を学ぶのがソーシャルワーク(個人の意見です)であり、その教養が通用しない人たちを相手にするのもソーシャルワーク(またはヒューマンサービス:福祉?)なのか?と悶々しており、頭の整理が必要だなと思います。この子たちが難しい状況で育てられてきた被害者であることは間違いなく、社会正義を追求するソーシャルワーカーとしてはそうした状況を生み出さないことが任務であり、彼らが同じような被害者を生み出さないためには仕事先のような福祉サービスが辛抱強く彼らと関係を築き「教養」を伝えることが必要と。これは実習時のテーマでもあったけど、ソーシャルワークが社会を見る一方、福祉は人間を見ていて、でも福祉のプロって何?

 

仕事先は重要な仕事をしていて、大きな組織なので色々体系的に整備されていて学べるのかなぁと思っていたのですが、全然そうではなく。とにかく人が足りず、数時間後に施設に配置される人も見つからず、私のような新人にも声が掛かるような状況です。でも仕事先は色んな養育の最終手段でもあり、この仕事先がなくなったら「キッズには行き先がない」という話も耳にしました。それにしてはスタッフへのサポートはなく、マネージャーは土日には連絡がつかず、まさに荒波に揉まれるうちに成長していくスタイルのようです…。今回のキッズの家もめちゃくちゃ汚く散らかっていて、またサポートワーカー同士のメモには数日前に「兄の方が掃除を完了するまでテレビのリモコンを渡さないように」と書いてあったのに、私が引継ぎを受けた時点でそのメモは完全無視され、兄はテレビ漬けでした。関わるワーカーが統一されない(まぁキッズが嫌いなワーカーを追い出すからというのもあるけど)のも問題ですね。

 

あー何か全然考えがまとまらないのですがこの話を誰かとしたかったので、ここに残します!(話し相手がいない笑)