編(アム)

オーストラリアでソーシャルワーカーになった中年の話

オーストラリアに来て初めてのゆっくりな日々

前回11月末に投稿していたので2か月ぶりですね。

 

近況としては、結局せっかくゲットしたサポートワーカーの仕事を辞め、日本に一時帰国し、第三国出張を経てオーストラリアに帰ってきて、かなりゆっくり過ごせています。気が向くまま読書して、眠くなったら昼寝して~って最高!

 

サポートワーカーは、前回の投稿の後にもっと疲れる案件に出会い、またその後の雇用主の対応に「それはないっしょ」と思わされることが多く、自分を守るために(間接的にはキッズのことも守るために)辞めることにしました。自分としては社会で最も脆弱な立場に押しのけられているキッズの最後の砦のような場所での仕事に意味を見出していましたが、何か・・・心と身体が受け付けなかったです。24時間シフト中食欲ゼロ、日本の家族の平和なLINEの会話を見て泣く(キッズの現状とこの平和さが同じ世界に存在することを理解できなくて頭が混乱)、その後のスーパービジョンで「君が外国人だからキッズをトリガーしたんじゃないの?」と言われる、「しばらくこの子たちの担当は避けさせて欲しい」と伝えたのに嘘をついてまでシフト入れられる、など。

 

あとはキッズとの仕事だと教育的なスキルも必要で、「これは手伝うけどそれは自分でやって」といったバウンダリーを築くのが非常に難しかったです。他のサポートワーカーが何でもやってあげる人だった場合、私だけ急に線を引くとキッズは当惑しますよね。何かその辺の、ワーカー同士でチームとしてやるぞー!っていう感じもなく、とにかく児童保護や障がい者支援の補助金需給要件として人を配置しないといけないからシフト入れる感が、ちょっと私には…「他にできる人いるならその人たちにお願いしましょ!私はやめときまーす!」という感想でした。まぁそうやって人の出入りが激しいからその雇用者はいつも人材募集しているし、私もすぐ雇ってもらえたんですけど。

 

実働は1か月くらいでしたが、色んなトレーニングを受けさせてくれて、お金もたくさん稼がせてくれて、感謝はしています。

 

しかし、トラウマに影響を受けたキッズに自分がtraumatiseされ、自分のへなちょこ具合と、彼らに向けた愛の枯渇に結構困っています。愛っていうか、愛さなくていいのですが、「私をtraumatiseしてくる現状を乗り越えた先に自分が信じる正義があるから頑張るチカラ」というか。ソーシャルワークは学問として正しいことを言っているしめちゃくちゃワクワクするのですが、それを実践するチカラは自分にあるのか?と疑います。

 

卒業後に私はソーシャルワーカーになれるのだろうか。もう永住権目指さずに、適当に関係ない仕事で数年働いてお金を貯めて、夫が待つ日本に帰ってしまおうか、とまで思っています。何というか、あのキッズたちを生み出したオーストラリア社会にそこまでコミットできないというか。どこの社会でもトラウマの影響を受けたキッズはいると思うのですが、そんなキッズが私のようなサポートワーカーと住むっていう不正義にもイラつくし。笑 究極には、ソーシャルワークという自分の使命とこんなにも合致する学問を高い学費払って勉強しておきながら、自分のハートにはその実践を抱えるキャパがないという現実に向き合いながらオーストラリアにいるのもしんどい。

 

2年目に入ったら次の実習に向けた話が始まるので、その時にその後の就職を視野に入れるのか、心がワクワクするけど就職先はなさそうなところにするのか、きっと前者にするのですが、ヒマな間に色々考えたいと思います。